いま40代のお笑いタレントがトークをしていると、ときどきBOØWYが話題にのぼることがある。
たとえば、バナナマンはMCを務める乃木坂46の番組で、設楽統が唐突にBOØWYの「B・BLUE」のイントロをくちずさみ始めたかと思うと、相方の日村勇紀も一緒に絶妙のタイミングで歌に入ってみせ、乃木坂のメンバーたちを驚かせていた。
BOØWYが後進たちに与えた影響力の大きさ
もちろん、お笑い以上に後進のミュージシャンにBOØWYが与えた影響は大きい。バナナマンとほぼ同年代であるGLAYのTAKUROは、14~15歳のころ友達の家で「B・BLUE」を聴き、腰を抜かすくらい衝撃を受け、そのまますぐにレコード屋へCDを買いに行ったという。BOØWYのメンバーでも、とくにボーカルだった氷室京介はカリスマ的存在として、ソロに転身してからもずっとリスペクトを集め続けてきた。
TAKUROは、氷室がBOØWY解散後初めてリリースしたソロデビューアルバム『FLOWERS for ALGERNON』(1988年)について、《人生であれほど美しいアルバムを聴いたことがない》と語っている(※1)。
その氷室は、2014年にライブ活動無期限休止を宣言、翌々年の4大ドームツアーの最終地・東京ドームでの公演をもってステージから去った。このとき、《60(歳)くらいになったらアルバムでも出すか》と、今後も時間をかけてアルバムをつくっていくと宣言し、会場は拍手と歓声に包まれたという(※2)。あれから4年、氷室はきょう10月7日、ついに60歳の誕生日を迎えた。これに合わせて、今夜9時からはオンラインイベント「KYOSUKE HIMURO 60th ANNIVERSARY ONLINE HANABI LIVE “DISTANCE”」も予定されている。