氷室が貫く「自分の美学」とは?
しかし、これについて周囲のスタッフが美談のように語るのを、氷室はよしとしなかった。後年、以下のように忸怩たる思いを吐露している。
《これはもうプロとしてあってはならない、忘れてはならない、自分を戒めなくてはならないひとつのエピソードとして解釈しています。やりなおしといっても、悪いコンディションになってしまったのは自分の責任であるし、今日調子が悪いからお前明日またこいよっていう(苦笑)。お金を頂いておきながら、その勝手さ。それはもうエンタテインメント・ビジネスの風上にも置けない、自己満足というか、若気の至りというか、非常に恥ずかしい思い出ということでこの事実を受け止めています》(※1)
氷室はべつのところでも、「自分の感情や価値観に流されてしまうという意味で、プロとしては自分は最低だと思う」という趣旨の発言をしていた(※5)。そこで例として彼があげたのが、2007年夏にGLAYと一緒に行なったライブである。このとき彼は新曲中心のセットリストでのぞんだ。ファンを喜ばせるなら、往年のヒット曲のオンパレードで盛り上げる手もあったはずだが、それはダサいという頑固な自分の美学を優先させてしまったのだという。もちろん氷室のなかにも、オーディエンスと盛り上がり感動を共有したいという部分はあるので、毎回自分のなかでバランスを取りながらやってはいる。それでもどうしても譲れないところがあるらしい。
《ただ絶対的に一番大切なのは、あまりパブリックなイメージだとか、相手の要求していることに流され過ぎてはいけないということだと思います。常にこっちが発信側であり、届かない人には残念だけれど外れていってもらう。その基本的な、一番大切なところで軸がブレてしまうと、今度はどこに住んでいても周りに流されて、音楽を作ること自体が辛くなってしまうと思うので。いつもいい意味での勝手さは大切にしなきゃいけないと思いますよね。そもそもそれは性格的にも譲れないところだと思いますし》(※5)
「マニアックなことをやりつつ、ポップなバランスを取る」
この姿勢は、氷室の発言に一貫して見出せる。90年代後半、メガヒットを出すアーティストがあいついだ時期には、そうした流れを否定こそしないものの、《でも、僕が300万枚売ることはテーマじゃないですよね。そんなこと考えて作ってないし。100万枚のクォリティーを作るっていうのかな。その中で、カッコいいなと思われるものを作ること。そうやって100万枚をキープすること。マニアックな新しいことをやりつつポップなバランスを取っていくというのかな。(中略)それがやれてるのは日本じゃ俺くらいしかいないんじゃないかと思いますよ》と語っていた(※6)。
実際、彼は常に新しいことに挑戦しながらも、「SQUALL」(1996年)や「ダイヤモンド・ダスト」(1999年)といったシングルをヒットさせるなど、セールス的にもきちんと実績を出してきた。この間、1997年にはロサンゼルスに拠点を移している。