1ページ目から読む
4/4ページ目

 インターネットを介してのファンサービスにも、同様の姿勢がうかがえる。2006年には期間限定で自宅スタジオからポッドキャスト配信を開始して注目された。しかし結局、ファンクラブのコミュニケーションツールのような形になってしまったあげく、「いかに自分が大変な人生を送っているか」を氷室にわかってほしいという人ばかりが集まってくるので、この企画は中断せざるをえなかったという。こうした体験を踏まえ、彼はネットとの距離感を考えなければならないと、2013年の時点で次のように持論を展開した。

1996年発売のシングル「SQUALL」

《俺らの仕事って宿命的に大勢を相手にしている職業なわけだよね。そこで相手がどんな得体の人なのかもわからず、いい加減にコミュニケーションをとってしまうことの危険性に目を向けないといけないと思うんです。たぶんみんなもっと真剣に考えなくちゃいけない時代が近い将来くるんじゃないかと思います》(※1)

 ファンと感動を共有したいと思いながらも、自分が流されないためには必要以上のサービスはせず、いい意味での勝手さを貫く。そうしたバランス感覚こそ、氷室がカリスマと目されるゆえんなのかもしれない。

ADVERTISEMENT

2014年の「ONE LIFE」が30枚目のシングルとなった

最後の東京ドーム公演での「宣言」の行方は?

 冒頭に記したとおり、氷室は2014年の全国ツアーをもってライブ活動の無期限休止を発表した。耳の不調がその理由であった。しかし、このときのツアーの最終公演(横浜スタジアム)は氷室にとって、リハーサルでの骨折に加え、落雷によるライブ中断とアクシデントが重なり、満足いく内容ではなかった。そこで終演時には「このリベンジは必ずどこかで」と観客に約束してステージをあとにする。この約束は、翌々年、ファイナルライブとなった4大ドームツアーという形で果たされた。彼を不調を押してでも最後の最後にライブへと駆り立てたのは、かつてのやりなおしライブのときと同じく、忸怩たる思いではなかったか。

 有言実行の氷室のことだから、最後の東京ドーム公演での「時間をかけてアルバムをつくろうと思います」との宣言も、きっといずれ実現させるに違いない。そのとき、彼はどんな新しい音を聴かせてくれるのだろうか。

※1 『氷室京介ぴあ』(ぴあ、2013年)
※2 「ORICON NEWS」2016年5月24日配信
※3 『ミュージック・マガジン』2013年3月号
※4 『VIEWS』1996年11月号
※5 『SWITCH』2007年1月号
※6 『スコラ』1998年1月8日号