結果として自殺してしまった人も
筆者は、1998年に生きづらさに関連した取材を始めた。きっかけは、援助交際をしている高校生たち、家出をしている少年たち、摂食障害の女性たちとの出会いだった。彼ら彼女らを取材していると、共通して多かったのは、希死念慮、つまり「死にたい」という感情だった。また、「消えたい」との言葉を使う人も出始めていた。当時は、自傷行為をする人たちや、自殺未遂をしていた人のネット・コミュニティが出来つつあった。オフ会をよく開いたり、参加したものだ。
私の取材で、自殺願望が強い時期ではなく、自殺を決心してないだろうが、結果として自殺をしてしまったという人がいた。動機としては、そのとき、嫌なことがあり、長い眠りにつきたいと思い、処方量以上の薬を飲んで、そのまま亡くなってしまった。通常、その量では死なないはずとみんなが思う量だった。自殺願望も、決心も強いわけではなかった。むしろ、寝ることで逃げたかった。いわゆる「寝逃げ」をしたかったのではないかと思っている。
周囲が自殺願望に気づかないこともある
また、鑑定医は「亡くなってしまった人はあまり経験がないが、(自殺を)試みましたという人が一定数いる」と言っていた。そういえば、現場の精神科医に話を聞くと、「それほど患者が自殺をしてない」という話をよく聞く。この裁判でもそんな話を聞くとは思わなかった。
どのくらいの人数を指してそう言っているのかわからないが、筆者は20年以上、自殺に関連する取材をしているが、数十人が自殺している。亡くなってすぐ友人から知らされ、葬儀に出席したこともある。また、数年後に、家族が故人の日記を整理していたら、筆者の連絡先が書いてあり、電話をしてきたということもあった。まれに、本当は亡くなっていないが、ネット上でのやりとりが疲れたために、自殺したことにした、と話した男性もいた。
「周囲が自殺願望をわからないこともありますか?」と弁護側は聞いた。鑑定医は「あります」と回答した。筆者の取材する人の中に、家族や友人、恋人が、自分の気持ちを知らないし、伝えたくないと言っている人も多い。そのため、亡くなった後に、遺族から「どうして教えてくれなかったのか?」と迫られたこともあった。