一方で、音楽活動もしていた。本格的に取り組むようになったものの、バンドリーダーは厳しい存在だった。叱責されることで、精神的に不安定な状態が増した。事件数日前の8月27日、バンドが遠方でライブをすることになった。車の運転はCさん。往復で12時間かかったが、リーダーはCさんに動画の編集をお願いする。すると、リーダーの登場場面が少なかったのか、「余計な編集をするな」と言われ、再編集をする。
8月前半、Cさんは、すでに知り合っていたAさんと、白石被告に「自殺の手伝い」をお願いするため、3人で会っていたが、このときは希死念慮が弱まった。しかし、再編集となった翌日の8月28日、再び、白石被告と連絡を取る。そのときには「Aさんにやった方法で殺してください」とメッセージを送っている。白石被告がAさんを殺害していたことを知ってのやりとりだ。メモアプリで遺書を書いていたことで、弁護側は「承諾していた」と説明する。
一方、検察側は、白石被告と会った後、Cさんは「オレ、これからは生きていきます」などとLINEをしている。やはり、白石被告に携帯電話は海に捨ててくるように言われたものの、海に行く途中の駅のコインロッカーに預けている。「しばらく家にいれば」と言われて、Cさんは白石被告宅にいることになるが、それは殺害の承諾でも同意でもない、と断言する。
生きたいという思いと、死にたいという思いが交錯
いずれも、ある時点では、殺してほしいという気持ちが見え隠れする。ただし、どこかの時点で「生きようとする」メッセージを送ったり、その思いを反映するような行動をとったりしている。そもそも、自殺をしたい、という気持ちと、殺されたいという思いはどこまで一致するのか。仮に一致するとしても、殺されることを同意していたのか。仮に、同意していたとしても、その条件として何が必要なのか。そんなことを裁判員が判断しなければならない。取材をしていると、自殺を企図する直前まで、生きたいという思いと、死にたいという思いが交錯するように感じている。裁判は、自殺の心理だけでなく、裁判員の死生観や倫理観を大いに反映することになるだろう。
ただ、白石被告本人は、承諾殺人ではないと言うつもりであるという。