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ド派手でキャラ立ちした美術品 日本の美の根源が安土桃山時代に生まれた理由

アート・ジャーナル

2020/10/10
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 茶の湯で用いられる器も、会場で多数観ることができる。それはそうだ、安土桃山といえば、茶の湯の大成者たる千利休が出た時代である。

 茶道といえば「侘び寂び」の精神が発揮されている世界のはず。地味で質素なのでは? と思ってしまうが、一概にそうとも言えない。茶の湯の器のかたちはバリエーションがたいへん豊富で、色とかたちのコレクションとして眺めていくと飽きることがない。「なんで器をこんなかたちや色にしてしまったの?」と言いたくなるような珍奇なものも数多い。

《織部松皮菱手鉢》 美濃、17世紀 京都・北村美術館

 趣向が地味であろうが派手であろうが、極端に振り切れてしまうというのが、この時代の傾向のよう。人の心性の過激さが際立って見えるのはなぜなのだろう。それが安土桃山の時代精神ということなのか。

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 絵画作品として、狩野永徳《檜図屏風》と長谷川等伯《楓図壁貼付》が同じ一角に並んでいるのも、圧倒的な迫力がある。両者は同時代に絵師として活躍したものの、流派が違う。どちらが権力者に重用されるかを競い合った身である。

狩野永徳《檜図屏風》 1590年 東京国立博物館
長谷川等伯《楓図壁貼付》 1592年ごろ 京都・知積院

 

 たしかに画風の違いは感じ取れるが、どちらも自然の姿を翻案して豪壮・絢爛・繊細を併せ持つ画面を生み出している点は共通している。作品が置かれた日本家屋の室内は、今と比べてずっと暗かったはず。そこで輝きを放つには、意匠も色彩もかなり派手で手の込んだものにしなければならなかったろう。そうした事情がこれらの画風を生んだ面もあるだろうか。