繁忙期には1日200人のオンナを回した
伊藤の読みどおり、オンナを使ったコンパニオンの派遣業は、かつてないほど大当たりする。組織はあれよあれよという間に拡大し、10年後、東北最大規模にまで膨れ上がった。
「便利屋をしていたなかで、福島中央テレビが主催する輸入家具の展示即売会に売り子を派遣して欲しいという依頼があり、コンパニオンと称して売り子を40、50人募集し、定期的に派遣するようになりました。
不思議なもので、軌道に乗るとドライブインのウェイトレスや旅館やホテルの仲居さんを派遣する依頼も舞い込んできた。そうこうしてるうちに、今度は取引先の旅館から『コンパニオンも何とかならないか』と相談が。それで輸入博の女のコふたりを磐梯熱海の老舗旅館に飛ばしたら、その旅館のオーナーの口コミで他からもコンパニオンの依頼が来るようになっちゃって。
週末は1日100人。繁忙期には1日200人のオンナを回したこともありました。那須・東山・飯坂・磐梯熱海……郡山からマイクロバス2台、ワゴン車5台で送り届けた。もう毎日戦争ですよ。年商は3億5千万。この10年間は1日も休めなかった」
女の子を日当1万で派遣し、半分の5千円が伊藤の実入り。派遣先がないコンパニオンは、郡山に開いたキャバクラ3店舗で雇用し有効活用した。常に現金1千万円入りのアタッシュケースを持ち、時には裏カジノで500万を一晩で使う。ギャンブルにハマったこの時期は半年で5千万ほど溶かし、カネは底を尽きかけた。
なーに、また稼げばいいや。仕事は多少下降気味だったものの、幸いまだまだ多忙に変わりない。と、素人経営で突き進んで来た伊藤のところに突然、ありがちな刺客がやってきた。
バブルが崩壊し、43歳で無収入に
「直後に仙台国税局に入られたの。とりあえず『なんで来たんですか?』って聞いたわけ。そしたら『お宅が東北で一番(儲かっている)。だから一番先に来た』って。あの時代にコンパニオン業で年商3億越えなんてなかったの。他はみんな何千万レベルだったわけ。
これまで自分の好き勝手に仕事して遊んでの繰り返しだったでしょ。税金に無頓着で、節税なんて考えもしなかった。入られて初めてわかったよ、税務署って怖いんだなって」
税金に無頓着だった代わりに、脱税という悪事を働く頭もない。幸い、追徴課税は800万ほどで済んだ。
が、同時に思いもしない未曾有の経済危機が訪れたことが運の尽きだった。