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「スパイ」にまみれた戦争の時代 それでも「絶対に切り離せない何か」とは

映画『スパイの妻』黒沢清監督(映画監督)――クローズアップ

2020/10/16

――実際に見ていると「ああこんなところが残っているんだ」と素直に驚くことが多かったです。途中で出てくる港の場面だとか。

黒沢 そう言っていただけるとありがたいんですが、あそこは実は横浜の山下埠頭なんです(笑)。

――神戸ですらなかったんですね……。

黒沢 神戸にはそんな場所はまったくと言っていいほど残っていませんから。幸い、旧グッゲンハイム邸などおもしろい建物はいくつか使うことができましたが、それ以外のところは、予算的に、ほぼ東京近郊から外に出ることが許されない状況でした。神戸で撮ったのは2割か3割、それ以外は関東近郊です。

©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

「いや、だってああ撮りませんかね、普通?」

――途中で出てくる群衆シーン、あそこはオープンセットですよね。

黒沢 ええ、あれはNHKが筑波に作ったオープンセットで、そこで『いだてん』を撮ってるんですよ。そこをめいっぱい使いました。でもカメラを逆に向けてしまうと今度は江戸の街が見えてくる(笑)。まあでもあそこを使えたのはよかったですね。

――このオープンセットでのシーンでは長回しで、カメラもどんどん移動していきますよね。こういう長回しというのもまた黒沢監督の作品でしばしば見られる手法かなと思うのですが。

黒沢 うーん、ただ意図的に狙った長回しということは考えていないんですよ。たしかに相当長く回すことはありますが、異常に長いということはないはずです。今回はNHKのセットを使ってずっと横移動で撮り、エキストラがたくさんいるなかで当時の社会状況と二人の関係を見せていったわけですが、僕からすると「いや、だってああ撮りませんかね、普通?」という感じなんですね。何かものすごいことを狙っているつもりもなく、あのセットを見て自然とああいう撮り方になったわけで。

――ここはこう撮る、という決定は、その場所があってこそ生まれるということでしょうか。

黒沢 もちろんそうです。その場所を最大限生かしながら効率よく見せるならどうするか、その方法を見つけていくのが僕の仕事ですから。もちろん僕一人ではなく、たくさんの撮影スタッフと相談しながら決めていく。それを指揮していくのが監督の仕事だと思っています。

©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

――撮影には、濱口さんや野原さんは参加されたんですか。

黒沢 まったく来なかったですね。神戸の撮影のときに一瞬、野原が来たのかな。彼らは脚本の第一稿までは書いたけれど、プロデューサーたちが本格的に動き出してからは基本的にノータッチ。一応僕が書き直す際には「こんなふうに直していい?」とか伝えてありましたが、彼らは「すべてお任せします」と。撮影が終わったあとの編集ラッシュにも、一切顔を出さなかったですね。