昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「スパイ」にまみれた戦争の時代 それでも「絶対に切り離せない何か」とは

映画『スパイの妻』黒沢清監督(映画監督)――クローズアップ

2020/10/16

――それは黒沢さんが拒んだわけではなく、濱口さんたちの方がお任せだったと。

黒沢 そうですね。彼らからすると「一度お任せしたんだから」という律儀な気持ちもあったのかもしれませんが。実際に見てみたら「え、この台詞をこんなふうに言わせるの?」とか「ここ、こんなふうになるの?」とかいちいち引っかかるのもいやでしょうし、そういう葛藤をしたくない、という思いがあったんでしょう。それはよくわかります。僕がもし脚本を書いて、誰か別の人、たとえば濱口が監督するとなった場合、撮影現場に来てくださいと言われても絶対に行かないでしょう。行ったらものすごく心が揺れ動きそうで。

――それはやはり監督同士だからこそですよね。

黒沢 ええ、やはりお互いにプライドがありますから。

©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

「僕にはとてもこんなドラマは書けません」

――この映画はある夫婦の話であり、また何か世界の終わりのようなものを描いていますよね。戦争という形で国家が一度終わってしまう。でもそこから何か新しいものが始まるんだ、という何か清々しい予感に満ちた終わり方でもあり、これってまさに黒沢清の映画ではないか、と思ってしまいました。こうした黒沢映画的な要素というのは、濱口さんたちの最初の脚本からすでに書かれていたことなんでしょうか。

黒沢 それはなかなか微妙な部分ですね。間違いなく僕には絶対に書けないなという部分があったのはたしかです。それは愛し合っている夫婦だと言いながら彼らが壮絶な騙し合いをする箇所。夫が妻を騙すのはまだわかる。でもそれに対抗するように妻も凄まじい手段で夫を騙しにかかり、かと思えば一緒にアメリカへ行こうと宣言する。読んでいて痛快ではあるんですが、よくこんなこと思いつくなと思いました。聡子という人物が何をしたいのかさっぱりわからない。にもかかわらずたしかにあり得るのかもしれないと思わせる。それはあの二人だからこそ書けたもので、僕にはとてもこんなドラマは書けません。

 こうした騙し合いの果てに、最後の最後に二人は離れ離れになっていく。そういうことを彼らはやりたかったんだろうと思います。でも完全に分離しながらも、あの夫婦はどこかで互いを信じ合っている。時代がああさせてしまったけれど絶対に切り離せない何かが二人にはある。そういう後味にこの映画がなっているなら、それは僕が加えた要素でしょう。

©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

――本当に、不思議なほど希望に溢れた終わり方だと思いました。真相がどうとかそういうことではなく、この先にあるものって何なんだろうと。

黒沢 濱口たちが書いてきた最初の脚本では本当に非情な結末でした。それこそ若尾文子の映画でこういうのあるよな、と思うような、凄まじい終わり方。一人の強烈な女性像としてはそれもありだったでしょうが、僕は、戦争という時代を扱ったこの映画でそんな非道い終わり方をすることができなかった。何らかの救いや希望があるように終わらせたかった。

 それでいくつかの場面を書き換えたり、全く新たな要素を書き加えたりしました。僕がロマンチストなんでしょうか。どうも非情になりきれないんですね。濱口たちは「あーあ、甘いな」なんて思っているかもしれませんが(笑)。