高橋さんも蒼井さんも何も言うことはなかった
――蒼井さんの台詞の発し方も、昔の日本映画を見ているようでとても素晴らしかったです。見ていて原節子さんや様々な昔の役者さんを思い出してしまったのですが、あれは黒沢さんが何か指定をされたんでしょうか。
黒沢 最初に蒼井さんに「ここに書かれた台詞は、現代の人が言うような言葉とはまったく違うんですが、この狙いってわかりますか?」と聞いたら「はい、わかります。昔の日本映画のようなイメージですよね」とおっしゃったので、それ以上は特に指定はしませんでした。ただその後に「もし何か参考になるものがあれば教えてください」とはおっしゃったので、
「原節子や高峰秀子のような強烈な個性のある人はあまり参考にならないかと思います。それより、今見て当時のスタンダードに見えるのは田中絹代でしょうか」とは答えました。
――そこから実際にああいう芝居をつくりあげていったのはもうそれぞれの役者さんご本人が、ということなんですね。
黒沢 ええ、高橋さんも蒼井さんも、この脚本のニュアンスをすぐに理解されていたので、それ以上特に何か言うことはありませんでした。もし「これいったいどんなふうに喋ったらいいんでしょう」と言われたら「ではまず5、6作品くらい見ていただいて……」と言わざるを得なかったんでしょうが、二人とも、読んだ瞬間すぐに飲み込んでくれた。それはとても心強かったですね。
――映画の途中には、山中貞雄と溝口健二の名前が出てきますね。
黒沢 これは指摘されると気恥ずかしいんですが、実際当時の神戸で何が上映されていたかと調べていたときに、溝口の『浪速女』が上映されていたと判明したので、まあ使おうと。山中貞雄の『河内山宗俊』については、最初はあれにするつもりはなかったんです。当時の映画を何か見せたいということで色々当たったんですが、どれも権利料が高いんですよ。脚本では単に二人がニュース映画を見ている、という設定だったんですが、当然ニュース映画だけを見にいくということはないわけで、目当ての映画の前にかかるのを見ている。それなら本編の映画の冒頭も少し見せておきたいと思い、そこは僕が付け加えました。『人情紙風船』は二人が見る映画としてちょっと違うし、『丹下佐膳余話百万両の壺』の冒頭は意外に地味で、最終的に『河内山宗俊』に決めました。日活も格安で使わせてくれましたし、狙いすぎと言われそうだなと思いながらもあれを使わせてもらいました。年代的に舞台となった1941年より少し古いんですが、リバイバル上映も当時はされていましたから。