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2020/10/16

名門・ソウル大卒のナード(オタク)

「シヒョクと私は好みがとても違ったが、ふたりを結びつけた共通点があった。ふたりともNerd(オタク。本では、括弧書きで「つまらないガリ勉」としている)なことだった。普通ならイライラするような論理的な分析や推論を何時間もかけてすることが嫌ではなく、感情や考えを論理に置き換えて話すという面が似ていた」(パク・ジニョン著『JYP 何のために生きていますか?』)

J.Y.Parkことパク・ジニョン ©AFLO

 ソウル大学美学科卒のパンBH社CEOは「大学時代から音楽事務所などに出入りしていたと伝えられています」(韓国紙記者)。パンBH社CEOは2005年に独立し、BH社を設立している。

 K-POPを取り巻く状況はこの10年でがらりと変わった。

 韓国音楽産業の輸出額は2009年以降、右肩上がりでぐんぐんと増え続け、当時3100万ドル程度だったのが、2018年には約5億6420万ドルもの規模に膨れあがった。その消費先のおよそ6割は日本市場だ。

パン・シヒョク現「BHエンタテインメント」代表(「BHエンタテインメント」公式HPより)

「BoA」の成功は韓国で海外進出のモデルケースに

 日本で初めてK-POPアーティストとして広く人気を得たのは2001年に日本デビューした「BoA」だろう。この「BoA」の成功は韓国で海外進出のモデルケースとなったといわれている。「BoA」の後には、やはりSM社所属の5人組(当時)のボーイズグループ「東方神起」が日本デビューし、その後は「少女時代」などが続いて人気スターとなった。

「東方神起」が日本デビューした2005年秋、SM社のイ・スマン代表理事(当時)にインタビューした際、こんなことを語っていた。

「BoAはハリウッドで戦えるアーティストがコンセプトで、そのためにはアジア市場を狙えるグローバルな才能が必要だった。以前の失敗から(3人組のガールズグループ『S.E.S.』の日本進出失敗)現地の語学能力は必須と痛感して、(BoAには)歌、ダンス、日本語教育を徹底した。東方神起は第2ステージ(中国人メンバーを加入させる予定だと語っていた)。第3ステージは中国人の人材を育てること」

東方神起 ©共同通信社

 この時、「コンセプトや思いを正確に伝えるためには現地法人が必要」とも話しており、日本と中国に現地法人をそれぞれ設立した。その後、他の事務所もこれに追随している。