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猥雑で、見苦しく、そして美しい街

 靴音を響かせながら、歩き出しても、迷子のような気持ちはまだ消えずにくすぶっていた。

 歩きなれた新宿の街を、凪沙は足が向くままに歩く。まだ、どこに行くかは決められないでいた。ただ、新宿から出ないことは、トレンチコートを手にしたときから決めていた。

 凪沙は新宿という街が好きであった。

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 猥雑で、見苦しく、そして美しい街。

 新宿以外の街に出るのは正直億劫で、よほどの理由がなければ、出ることもない。どうしても出なければならない時、凪沙は赤いコートに身を包み、サングラスをかけた。それぐらいの武装がいつでも必要だった。

 しかし、新宿は違う。新宿はベージュのトレンチコート姿の凪沙を、いつでも、なんの躊躇もなく飲み込んで、街の一部にする。

© 2020 Midnight Swan Film Partners

 新宿の中心から十分ほどの、家賃がそう安いわけでもない、古めかしいアパートに凪沙が住み続けているのは、こんな風にふらりと新宿を歩ける環境を手放したくないからだった。

 細い路地を抜け、新宿駅に向かって歩き続ける。近所の店のショーウインドーにうっすらとうつった自分の姿に、この街にやってきた頃をふと思い出した。

 この街に来る前、凪沙は田舎の一般企業に勤めていた。十年もの間、男物のスーツを着て会社に通っていたのだ。

 自分なりに考え、決意をしたうえでこの町にやってきたとはいえ、レディースもののコートをためらいなく着られるようになるまでかなりの時間がかかった。

 この新宿で、凪沙は初めて女装をし、ヒールを履いて歩いたのだった。

 人の目ばかりが気になって、指先が冷たくなるほど緊張していたけれど、その時も、気付けば新宿の街が自分を綺麗に飲み込んでいた。

 いつしか、女性として歩いている自分に気づいたのだった。

 新宿とはそういう街なのだ。雑多な世界に、いつしか紛れ込んでしまう楽しさと危うさが共存している。

 あれから何年たったのだろうか。街を彩る店や顔ぶれは激しく入れ替わるけれど、新宿の何でもどろどろに溶かして街の一部にしてしまうような、底知れなさは変わらない。