あなたの母になりたい――。陽の当たらない場所で、あたたかな愛が生まれる。
草彅剛さんがトランスジェンダーとして生きる主人公の凪沙を演じ、大きな話題となった映画「ミッドナイトスワン」。
女性として生きる凪沙と、親から虐待されて生きてきた少女が寄り添う姿が美しく痛切なラブストーリーとして感動を呼び、大ヒットロングラン上映中です。
それを記念して、10月26日(月)までの期間限定でCHIZUSHOPで発売中の「限定版『ミッドナイトスワン』SPECIAL BOX」に収録された内田英治監督によるスピンアウト小説、「すべては暮れなずむ夢でありました」の冒頭を特別に公開します。
凪沙と一果が新宿で過ごす、何気ないけれども特別な一日。
映画を観て凪沙ロスになっている方にも、これから映画を観る方にも読んで頂きたい、「ミッドナイトスワン」の世界がより深まる物語です。
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「すべては暮れなずむ夢でありました」
金魚がぱっと身をひるがえし、赤い尾がふわりと揺れる。
しかし、金魚の開いた口は、空しく餌をかすり、次の瞬間、その餌は別の金魚の口に吸い込まれていった。
餌の容器を手に、水槽を見つめる凪沙は小さくため息をつく。この金魚のことはいつも少し気にかけていた。うまく餌にありつくことのできない、要領の悪い金魚。慎重に新しい餌を落とし続け、その金魚がなんとかもたつきながらも餌を口に収めた時には、ほっと安堵の息が漏れた。
餌を置いて、ぺたんと床に座り込みながら、凪沙は金魚たちを眺める。
凪沙はなぜだか途方に暮れた気持ちでいた。
この日、凪沙は久しぶりの休日だった。スイートピーの仕事にも、注射を受けに医院にも行かなくていい日。
どこへ行って、何をしよう。白紙のような休日を頭の中でたっぷりと想像するのが、凪沙は好きだった。美術館のソファに腰を下ろして、絵に囲まれながら、絵を鑑賞する人たちをぼんやりと眺めるのもいいかもしれない。新宿のデパートをはしごして、贅沢なウインドーショッピングをするのもいいかもしれない。一目で気に入るような色の口紅があれば、思い切って買ってしまってもいいかもしれない。行きたい場所、したいことはいくらでもあった。忙しい日々の中で、まっさらな休日を想像することは、何よりの娯楽だったのだ。
しかし、実際、休日を手にした凪沙は、なにをしようと浮かれる気持ちになるどころか、なにをしたらいいのかと途方に暮れていた。家の中にいるのに、迷子になったような、妙に心細い気持ちがした。