どんな理由で東長崎駅と名付けられたのか
さらに南口の広場の一角にある交番はあの“トキワ荘”を模した作り。手塚治虫や赤塚不二夫が青春時代を過ごしたアパートメント、トキワ荘。これがこの東長崎駅の近くにあった、ということのようだ(実際はかなり離れていて最寄り駅は大江戸線の落合南長崎駅)。
個人的には東長崎駅のような駅前の道が狭くてごちゃついているような駅が好きである。だからついあれこれ書いてしまったが、本来の目的は“東長崎”という駅名のナゾだ。
駅の所在地は豊島区長崎五丁目。なるほど、豊島区の長崎と呼ばれる地域一帯の東側にあるから東長崎駅です、と言われたら何の不思議もない。実際、長崎の南側には南長崎という地名もある。
ところが、地図を見ると淡い期待はバッサリ裏切られた。東長崎駅、豊島区長崎の西にあるではないか。むしろ椎名町駅が長崎の東の外れにあって、こちらのほうが東長崎駅にふさわしいような気もしてしまう。
そこで西武鉄道さんに聞いてみた。いったい、どんな理由で東長崎駅と名付けられたのか。
「開業したのは1915年のことで、記録が残っていないので確かなことはわからないのですが、おそらく古くからの地名に由来するのではないでしょうか」
……うーむ、ナゾというのはそんな簡単に解けるワケでもないからこんなものだろう。この古くからの地名が“長崎”。歴史的には、鎌倉幕府の執権だった北条氏の家臣・長崎氏と関係がある立派な地名なのだというが、やはり“東長崎”のナゾは深まる一方。
ちなみに、ウィキペディアを見ると「九州の長崎と区別するため」と書かれているが、出典もないので真偽は不明。いくらなんでもあの南蛮文化香る長崎と間違える人は……と、結局何も解決しないまま次の駅、東久留米駅に向かった。
“東”久留米駅には何がある?
東長崎から東久留米までは同じ路線なので乗ったきりで着く。たかだか30分ほどの短い東京郊外の旅である。そして東久留米駅もまた、東長崎駅と同様の橋上駅舎。ただ少しこちらのほうが古いようだ。