その流れを踏まえれば、東京の“東”から東久留米駅、と名乗ってもまあ不思議ではない。そしてその理屈からすると東長崎も“東京の長崎”で東長崎で間違いないのだろう。いずれにしてもこれらの“東”は東西南北の東ではなく、東京の東だったのだ。
ちなみに、本家久留米駅といえばブリヂストンタイヤ発祥の地としておなじみ。駅前にはどでかいタイヤがオブジェクトとして鎮座している。東久留米駅前のタイヤといえば客待ちタクシーのタイヤくらいなものだが、実は西武とブリヂストンはなまじ無関係とも言えない。国分寺線と拝島線が交わる小川駅の近くには古くからブリヂストンの工場があり、かつては駅までゴムの匂いが漂ってきたという。
“東”伏見駅には何がある?
ああ、同名の駅と区別するために東京の“東”を冠したんですね、ということがわかってしまって、なんとなくこちらも答えが最初から見えている。それでも決めたからには初志貫徹で行かねばならないのが西武新宿線の東伏見駅である。
西武池袋線と新宿線は山手線のターミナルから西に向かって平行に伸びている。埼玉県に入ったところの所沢駅で交わるが、それまでは付かず離れず、絶妙な距離感を保っている。おかげで、東久留米駅と東伏見駅は直線距離ではさほど離れていないのに実に行きにくい。所沢で乗り換えればいいのだが、それはなんとなくシャクなので、保谷駅に戻ってからバスに乗ってえっちらおっちら、東伏見駅にやってきた。
東伏見駅はもしかしたら一部の人たちにはなかなかの知名度を誇っている駅かもしれない。駅の南口のロータリー、その片隅に小さなマスコットのような像があり、「縄文の里、東伏見」。そう、東伏見は縄文遺跡のある町として有名……ではない。肝心なのはそのすぐ近くにある立て看板。「早稲田大学東伏見キャンパス構内案内図」だ。
駅前からしてもうキャンパスのつもりかと僻みたくもなるが、事実ロータリーの反対側には早稲田大学の建物が建っていて、その奥には体育会系のクラブが使うグラウンドがひしめく。筆者も10年ほど前に取材で訪れたことがある。以前訪れた本庄早稲田駅などと同様、東伏見は早稲田大学の町なのだ。訪問時も駅の周りで屈強な肉体のいかにも体育会系といった雰囲気の学生たちの姿を多く見かけた。
そして答え合わせである。東伏見駅、こちらも一応西武鉄道さんに聞いてみる。
「1927年に開業した当時は上保谷駅といいました。ここも正式な記録はないのですが、京都の伏見稲荷大社の勧請によって東伏見稲荷神社が創建され、駅名も1929年11月に東伏見駅に改められたと言われています」
こちらはなかなか具体的。東伏見駅から東伏見稲荷神社までは早稲田大学のキャンパスの間を抜けて約10分。この神社がやってきてから、周辺一帯の地名が東伏見となって、それが駅名変更にもつながって今に至っているというわけだ。本家本元の伏見稲荷大社の勧請という事情から、神社が「東伏見稲荷神社」と名乗ったことはなんとなく想像できるところである。
なお、東伏見駅があるのは西東京市。もう東だか西だかわけがわからなくなってきますね……。