いつも時代を作るのは人間だけど、思ったように時代は作れない。相反する「優しい」「暴力」という言葉がこれ以上ないほどふさわしい時代を背景に描く短編集。
韓国の経済と教育格差は凄まじいと聞くが、どの作品もその影響が感じられる。「ミス・チョと亀と僕」の主人公「僕」は「金満老人の養老院」に勤務している。老人たちの住む高層ビルには入居者用のエレベーター6台、職員用は1台。
金持ちでこらえ性のない老人たちは職員を何かと呼び出す。他方、父の元愛人ミス・チョは誰にも看取られずに亡くなる。チョに何もしないことで自分の元から去らせた父は、チョを故意に傷つけるよりも残酷だった。「母」として迎えられなかったチョを「僕」は父に代わって悼む。
「私たちの中の天使」のカップルはある老人を、直接手を下さずに死に至らしめて金を得ようと計画を立てる。成功したのかはっきりとわからないまま、老人は死ぬ。二人の中には罪を犯した意識が積み上げられて、やがて絶望へと追い詰められる。
持たざる者は持つ者に嫉妬する。なぜ自分になくて、相手はあるのか、と問うても理由はない。あるのは運命。その運命をも変えようとするなら、傷を負う代償も覚悟しなければならない。
「引き出しの中の家」は事故物件を売りつけられた夫婦の悲劇。人生最大の買い物ともいわれる家は、大きな財産であり、終の棲家の保証であり、成功者としての証でもある。
当事者には悲劇だが、傍から見れば喜劇にも見える。人生というトランプゲームにはジョーカーがあって、それを上手に手放したものが勝ち、ジョーカーを選んだ者は負ける。
すべての作品の視点は、ここで起きる事件や出来事をすでに知っている。物語の神は静かな語り口で、一見平和な世界にある暗い穴を抉(えぐ)り出す。優しくいたぶるように、礼儀正しく傷つけるように。
日本版のボーナストラックとして収録された「三豊(サムプン)百貨店」は1995年に実際に崩落した百貨店が舞台。かつて日本でも起きた耐震偽装事件を思い出させるが、バブル経済下で起きた建築の信頼を失墜させる崩落事故を扱った本作は、著者の自伝的作品でもある。堅牢で重厚な百貨店は、富の象徴でもあるが、あっけなく崩れてしまう。
高卒でデパート勤務する同級生Rと、大学を出たものの仕事がない「私」は再会後、共鳴し交流を深める。崩落事故の日、デパートを訪ねた「私」の一瞬の行動が生死を分けた。自分が救われた理由を「私」は一生かけて問うだろう。
関わることで傷を負う。互いを労わり、生じた摩擦でまた身を削る。それでも人は関わる。むき出しの暴力ではなく、真綿で包んだナイフみたいな作品群。でも握りしめずにいられない。
なかえゆり/1973年、大阪府出身。女優・作家・歌手。著書に『残りものには、過去がある』『トランスファー』など。
チョン・イヒョン/1972年、ソウル生まれ。2002年に作家デビュー、04年「他人の孤独」で李孝石文学賞、06年「三豊百貨店」で現代文学賞を受賞。現代韓国を代表する作家のひとり。