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「クソどうでもいい仕事」はなぜ生み出されてしまうのか?

津村記久子が『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー 著)を読む

2020/10/19
『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー 著/酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹 訳)岩波書店

 第六章で記される「仕事をして得られるお金の総額とその仕事がどれだけ役に立つのかということは、ほとんどパーフェクトに反比例している」という言葉はかなり衝撃的だけれども、今年に入ってからの新型コロナウイルスの感染拡大という状況下にあって、誰もが強く実感し始めていることなのではないだろうか。

 それ以前にも、会社勤めをしている中で思い当たることはいくつもあった。たとえば、わたしが以前勤めていた同族会社では、十二月の最後の出勤の大掃除の日に、掃除が終わった後、フロア全員が着席するまで帰ってはならないという暗黙の了解があって、時には一時間近くに及ぶその何の生産性もない状態を、フロアを見渡せる場所にどっかり座った役員がやけに満足げにただ眺めているという象徴的な状況があった。知人の会社では、社長の息子である副社長が、働いている社員と同じフロアで過ごしながら、何もやることがないので取引先に電話をかけるふりをして時間を過ごしていたらしい。彼らはとにかくその状況にあっては何の役にも立っていない。ただ職場という場所で権力を持っているだけだった。意図的なものなのか、労働に意味を求める人間の心の自然な動きから生まれたものなのか、労働の神聖視から派生した冒頭のような世界観の転倒と、「徳はそれみずからが報いである」というような価値観に資本の所有者たちがつけこんで、いかに「働くこと」を歪めていったかということについて、丹念に解きほぐしてくれる本だと思う。また、その言葉そのものこそ出現しないけれども、日本国内でいうやりがい搾取という仕組みが、現代の労働状況にどれほど根深く寄生しているかが了解できる。その構造には「市場経済は、何の目的にも資することのない雇用を創出することはありえない」という、人間全体による人間の歴史への過信が与している。

 仕事の中にはサドマゾヒズム的側面があると認めながら、プレイとしてのSMには存在する歯止めが仕事の上では存在しないという指摘にも驚く。職場のモラルハラスメントを言い当てるようなこの状態は、権力行使のための権力行使の無意味さをはらんでおり、最初の職場で上司が「(本当は修正可能なものを)修正不可能だからこれは」と楽しそうに繰り返し脅してきたことを思い出させる。

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 本書は「クソどうでもいい仕事」を糾弾する内容であると同時に、雇用創出の建前の元に現代の人間社会が陥ってしまった仕事との不健全な関係を問い直す切実な本でもある。ウイルス感染拡大という状況にあっても、漠然と疑問に思われながら漠然と受け入れられている「なくてはならない労働をしている人々」の不遇を解き明かす本書が読まれることによって、彼らが真に得るべき敬意が払われ、待遇が改善されることを強く願う。

David Graeber/1961年ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティヴィスト。著書に『負債論――貨幣と暴力の5000年』『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』など。2020年9月、ベネチアの病院にて急逝。
 

つむらきくこ/1978年、大阪府生まれ。作家。著書に『この世にたやすい仕事はない』『浮遊霊ブラジル』『サキの忘れ物』など。

ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

デヴィッド・グレーバー ,酒井 隆史 ,芳賀 達彦 ,森田 和樹

岩波書店

2020年7月30日 発売

「クソどうでもいい仕事」はなぜ生み出されてしまうのか?

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