『銀閣の人』(門井慶喜 著)KADOKAWA

 将軍とは何ものか。中世史研究が用意した解答は「統治権的支配権」と「主従制的支配権」とを行使する存在、である。前者は分かり易い。行政の長ということ。後者は全ての武士を従えていること。命がけで私に仕えよ。さらば恩賞として土地を与えん。命がけの奉公とは戦場での武者働きであるから、将軍とは則ち軍事の統括者でもある。

 政治と軍事。だけでよいのか? と疑問を呈したのが足利尊氏だった。周囲の反対を押し切って京都に幕府を開き、列島全域に著しい伸張を見せていた流通網を掌中に収めた。三代義満は伝統的な公家勢力を屈服させた。明との外交・貿易に乗りだし、天皇を差し置いて日本国王の称号を得た。

 八代義政には……何もない。政治の無為は、応仁の大乱となって現れた。京都周辺での戦いは十年に及んだが、彼が軍陣にあって将兵を指揮したなど、聞いたことがない。甲冑を着したことすらあったかどうか。町家は焼け、経済は止まった。宗教の研鑽も、寺院が担っていた研究・教育活動も停滞した。室町幕府の権威は完全に失墜した。それをもたらした最低の将軍。足利義政とはそういう人だと私たちは考えていた。

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 だが、と著者は反論する。義政には文化があるではないか。昭和の世まで、ごく普通に、私たちの生活を支えていた空間。小ぶりの住居には畳敷きの部屋があり、掛け軸や花で飾られた床の間があった。そこで私たちはお茶を飲み、音楽に耳を傾け、疲れを癒やした。空間を支配するのは華やぎではなく、「わびた」精神である。それこそを創始したのが義政ではないか。

 こういうと驚かれるかもしれないが、室町時代の文化の主流は、実は華やぎの「唐物(からもの)」趣味であった。唐物数寄という。富を得た者は競って、自己主張の激しい唐物、すなわち舶来品の入手を試みた。この辺りの事情は、海外のブランド物が高い価値をもつ現代と変わらない。伝統的な日本の文物、「和物」は唐物の劣位に置かれた。

 けれども、時の流れが、人々の精神を変化させていく。成熟と言っても良いかもしれない。和物も工夫すれば唐物に劣らない、という解釈を経て、心敬という人の「連歌は枯れかじけて寒かれ」の言葉に見えるような「枯淡の美」の価値が再評価されていく。室町文化の精髄、「わび」がここに生まれる。足利義政が発見し、体現したものこそが、この「わび」に他ならないと著者は言う。

 わびている風情は一見すると平凡だが、それはまことは普遍。長く後世の生活空間を、日本人の精神を支配する「文化の王」。本書は義政という人の評価を覆し、見事に描ききった。著者の力量はまさに驚嘆に値する。熟読、味読していただきたい。(最後におまけクイズ。わびの先にあるものは何か。ヒントはこの文章中にあり。答えはぜひ本書で確認してほしい。)

かどいよしのぶ/1971年、群馬県生まれ。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。18年『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。『家康、江戸を建てる』『自由は死せず』『東京、はじまる』など著書多数。

 

ほんごうかずと/1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。専門は日本中世政治史、古文書学。近著に『日本史ひと模様』など。

銀閣の人

門井 慶喜

KADOKAWA

2020年9月2日 発売