『東京裏返し』(吉見俊哉 著)集英社新書

 文明開化期から現代まで、時間軸ごとの地図を見られる「東京時層地図」というスマホアプリがある。気になる道幅や地形で足を止め、昔ここに何があったかを調べるのが楽しい。

 本書は、この遊びにそそられる同好の士にはたまらないガイドブックだ。上野や浅草、本郷、王子など、かつて文化的中心地だった都心北部に光を当て、7日間かけて街歩きすることで、東京を“裏返し”していく。裏返しとはすなわち、敗者との交信である。

 象徴的なのが上野。家康の時代に菩提寺として建立された寛永寺が、戊辰戦争では戦場となり、たった1日で破壊し尽くされた。勝者となった明治政府はここを上野公園とし、内国勧業博覧会を開いて徳川カラーを抹消、近代化のシンボル空間に書き換えていく。一方、敗れた彰義隊の戦いの痕が生々しく残る黒門(寛永寺の総門)は、南千住の円通寺に追いやったきり。敗者は今もって敗者なのだ。

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 現代の為政者も明治維新の勝者の系譜にあるが、同じことは街にもいえる。徳川家、薩長政権、GHQと、各時代の勝者の占領によって東京は上書きされ、敗者の記憶は覆いをかけられてきた。この本は、そうやってないがしろにされた過去の痕跡をたどることで、時間層を旅する手引きだ。再開発された街は過去から切り離されるが、都心北部には歴史と地続きでつながっている“孔”が、ぱっくり口を空けるようにして残っている。しかし多くの人にはそれが見えていない。みんな急ぎすぎるから。

「より速く、より高く、より強く」を掲げた1964年のオリンピックによる都市改造は、東京の中心軸をぐっと西に傾け、人々を急き立てる社会のムードを作った。そして日本橋川をはじめ主要な川の上には高速道路が架けられ、都心を隈なく走っていた都電はやがて廃止に。著者は、唯一残った荒川線の鬼子母神前駅から街歩きをスタートさせると、都電を復活させるべきだとまず提案し、バリアフリーかつ地域活性化の鍵にもなる路面電車=スローモビリティの必要性を説く。

 本書が面白いのは、こうして街を歩きながら現状にダメ出しし、アグレッシブに改善点を挙げていく点だ。首都高の撤去は言わずもがな、上野駅正面玄関口はリデザインすべきだといった具合に。しかもそれがただの空想ではなく、「東京文化資源区」構想として実際に動き出しているのだから、これはわくわくしてしまう。

 考えてみれば明治維新後も戦後も、背伸びして自己否定に走る若者のような時代だった。若者は無茶をする。街を手ずから壊す。そして誰が見ても、今の東京は完全に焼きが回っている。

 ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる資本主義の化身「灰色の男」はラストで自滅するが、そうなる前に、そろそろ成熟に舵を切りましょうよと、本書は語りかけているのだ。

よしみしゅんや/1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門とする。『都市のドラマトゥルギー』『五輪と戦後』など著書多数。

 

やまうちまりこ/1980年、富山県生まれ。作家。著書に『あのこは貴族』『山内マリコの美術館は一人で行く派展』など。