みなさまのお悩みに、脳科学者の中野信子さんがお答えします。
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Q 姑の“こだわり”が強過ぎて困っています――40歳・二児の母の薬剤師からの相談
夫の両親は定年後、富士山が見える高原に家を建てて暮らしていました。義父が3年前に亡くなり、今は義母がそこで独り暮らしをしています。いいところだし、義母のことも気にかかるので、東京に住む私たちは家族4人そろって頻繁に訪ねていたのですが、近ごろは足が遠のきつつあります。
というのも義母は団塊の世代の71歳。学生時代から討論好きで、今でも理論派。電磁波はカラダに悪いので電子レンジはダメ、エアコンもダメ、電子蚊取りもダメ、殺虫剤、洗剤、農薬を使った野菜、添加物……みんなダメ。使うモノにも食べるモノにも制約が多く、その理由を滔々と述べるのです。
だからせっかく訪ねても居心地が悪いです。子どもたちはエアコンがないのは我慢できないと、行きたがらなくなってしまいました。
義母は健康に悪いという情報は鵜呑みにして使用禁止物を増やす一方で、健康にいいという情報を取り入れることはなく、納豆ブームやエゴマブームには乗らないのですが、これはどうしてなんでしょう? そして、もう少しフツーの生活を受け入れてもらうにはどうしたらいいでしょうか?
中野信子の回答「正しくない人に罰を与えるのは、脳にとって喜び」
A 団塊の世代が大学生の頃、DDTなどの危険性を訴える『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著)がベストセラーになりました。恐らくお義母様も読まれているでしょう。
当時は、思想を放棄したり変えたりすることは“日和る”“転向”などと呼ばれ邪道だと軽蔑されるような傾向もありました。現代の感覚では確かに「柔軟性に欠ける」お考えかもしれませんが、一方で「柔軟性がある」というのは“日和る”ことと同値だともいえます。
ところで、倫理的な正邪の判定は、脳の内側前頭前野が担っています。「私は今、正しいことをしている」と判定すると脳は喜びという形で報酬が得られます。
この仕組みが個人で完結していればことは単純ですが、実は、「正しくない」人に罰を与えるときにも、喜びが得られるという仕掛けになっているのが厄介です。