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「刺青が分からないように刻まなきゃ」遺体をサイコロステーキに…平成最大の猟奇殺人、凄惨な実態

2020/10/22

genre : ライフ, 読書, 社会

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関根は事件を“透明”にしてしまった

 この事件の9年前の1984年にも、関根と関係のあった3人が行方不明になっている。この時すでに「ボディーを透明にする」手法は確立されていたことが、その時の共犯者の詳細な供述から分かる。

 その男によると、肉、内臓、骨を黒いビニール袋に分けて入れると関根は、「あーあ、腹減ったなあ」と言って、インスタントラーメン3人前を平らげたという。この事件でも埼玉県警は大がかりな捜査を行ったが、物的証拠は見つからず、立件されなかった。関根は事件を“透明”にしてしまったのだ。これを見れば、84年が関根の殺人の開始だとはとても思えない。

 1942年生まれの関根は、中学を卒業すると、埼玉県・秩父で中華料理店やパチンコ店で働いた。その中華料理店は火災で全焼し、中で店主は焼死していた。関根が店主を殺害し火をつけたのだと地元の人々は言うが、これも立件されていない。この時に関根は、死体をなくしてしまえば事件にはならない、と学習したのかもしれない。

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埼玉県大里郡江南町の荒川で遺体の捜索をする捜査員  ©時事通信社

 関根は20代で犬の販売を始め、弁舌の巧みさで成功させていく。やがて、アラスカンマラミュートを日本に広めた男として、犬の業界で名を馳せている。1988年には「男のBEタイムス」(テレビ東京)に出演し、猪瀬直樹を相手に、こんなことを喋った。

「自分はアフリカに11年、アラスカに8年、シベリアに2年いた。青年期からの半生を炎熱、酷寒の地で過ごした」「シマウマの血を体に塗りたくり、ライオンの群れの中に突進し、瞬く間に牛一頭を白骨化しつつある15万匹の凶暴なピラニアが群集する沼に素足で入り、英国BBC放送をして『ジャパニーズターザン』と呼ばしめた」

 それらはすべてホラであり、いつものことである京都大学卒業だという学歴詐称も行ったが、事業を成功させていたのは事実だった。

日本では稀にしか現れないシリアルキラー

 アメリカ連邦捜査局(FBI)は4人以上を殺害した大量殺人者を、3種類に分類している。一つの場所で多数を殺害した者は、マスマーダラー(Mass murderer)。短期間に複数の場所で殺人を行った者は、スプリーキラー(Spree killer)。長期間にわたって殺人を続けた者が、シリアルキラー(Serial killer)だ。

 この3つのタイプは、動機も犯行様態も異なる。マスマーダラーというのは、アメリカでなら銃で、日本でなら刃物で手当たり次第に殺傷していくもので、彼らには逃走の意志もなく、その場で逮捕されたり、すぐに自首する。

 やや分かりにくいのが、短期と長期の差である、スプリーキラーとシリアルキラーの違いだ。スプリーキラーは殺人に耽溺してしまい、短期間のうちに犯行をくり返す。シリアルキラーは殺人から次の殺人までの間に、感情的な冷却期間を持つことができる。作業をすませるように殺人を行うと、普段通りの社会生活や家庭生活を営むことができるのだ。殺人を行う傍ら、社会的成功を収めていた関根は、日本では稀にしか現れないシリアルキラーと言えるだろう。