実はラディカルだった「生産性」議員
「家族」の形は明治維新ですぐには変わらなかった。職住一体の零細企業のような家族が主流だったし、新たに制定された民法でも「家」制度が残された(注23)。
ようやく家族に変化のきざしが訪れたのは、20世紀初頭(大正時代)だ。
第一次世界大戦後の好景気により、「会社」や「工場」が増えたことで、「男が外で働き、女が家事をする」という家族が増え始めたのである。
この時、初めて「専業主婦」という存在が生まれた。それまでの家族は、労働をしない人を養う余裕などなく、男も女も働ける人は全員で働くのが基本だったから、主婦の生まれる余地など無かったのである。
このように、夫が働き、女が家事をするような家族を「近代家族」という。文字通り、近代に成立したからなのだが、一部の保守派の人々は、この「近代家族」を「日本の伝統的な家族」と勘違いしてしまうらしい。
近代家族は一気に日本中に広まったわけではない。20世紀半ばまで、この国では農業従事者が圧倒的に多く、「サラリーマン」や「専業主婦」になれたのは一部の特権階級の人々だけだった。都市部でも自営業者が多く、何もしなくても定期的に給料が振り込まれる「サラリーマン」は憧れの存在だったという。
また1930年代後半に戦争が本格化すると、戦地に行ってしまった男性の代わりに、女性は貴重な労働力となった。政府は「共働き婦人」の保護方針を打ち出し、全国の兵器工場などにも託児所が作られ、今でいう「女性活躍」が進められたのである。
しかし敗戦後、再び働く女性に逆風が吹き始めた。民法の改正によって「家」制度は廃止され、新憲法でも法の下に性別で差別されないという条文が設けられたものの、現実は一筋縄には進まなかった(注24)。
敗戦後、世帯単位の戸籍を廃止して、個人単位の出生カード制度を創設しようという提案がGHQからあった。しかし日本の司法省は何と紙不足を理由に拒否。物資不足は本当だったが、官僚は実務を優先して最小限の法改正に留めたかったようだ(注25)。結局、世界でも珍しい戸籍制度が、マイナンバー制度が成立してからも残存している。
戦後日本は、めざましい勢いで経済復興を達成したが、経済が豊かになるにつれて、働く女性の割合は減っていった。高度成長期を経て、1975年になるまで、女性労働力率は低下し続け、専業主婦が増えていったのである(注26)。
本稿の冒頭で、「生産性」議員の、「昔の日本は夫が外で働き、お金を稼いで妻にわたし、家計のやりくりをしてい」たという発言を紹介した。
この「昔」はどんなに遡っても大正時代、それが一般化した時期となると、1970年代なのである。確かに半世紀前は「昔」と言えなくもないが、保守主義者が守る「伝統」としては新しすぎる気もする。
仮に、このような近代家族の成立が困難になることで「日本」が「崩壊」するなら、1970年代より前の「日本」はずっと「崩壊」していたことになる。それはそれでラディカルな歴史観だが、一般的にそのような思想は保守とは呼ばれない(注27)。