発足直後は大きなイデオロギー対立がないように見えた菅政権だが、ここにきて、日本学術会議の会員任命拒否が「学問の自由」の侵害にあたるか否かが、左右の大きな対立軸となっている。

 だが実は安倍政権以来、保守とリベラルの対立軸としてずっと横たわっているのが、「家族」の問題だ。

 代表的なのは、最近も「女性はいくらでもうそがつける」という発言が問題となった杉田水脈議員の主張。彼女は、「昔の日本は夫が外で働き、お金を稼いで妻にわたし、家計のやりくりをしていた」とし、「夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め」ることは、「日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させ」ると主張している。

ADVERTISEMENT

 自民党全体でも、2018年、未婚のひとり親が控除を受けられるようにする制度改正を「伝統的な家族観が崩れる」という理由で見送っている。おそらく自民党の議員が言う「伝統的な家族」とは、夫がいて妻がいて子供がいる、という家族像だろう。この家族観は、日本の一定数の人がすんなり受け入れているものである。

©iStock.com

 だが、歴史を紐解くと、それが本当に「伝統的」なのかは、甚だ怪しいようだ。

 発売1ヵ月足らずで7万部を突破しているベストセラー、古市憲寿氏の『絶対に挫折しない日本史』で古市氏は、そうした伝統的家族像は、俯瞰した日本史から見ればごく最近生まれたものだと語る。

 同書から、「家族と男女の日本史」の章を一章丸ごと公開する。(全2回の1回目。#2を読む)

家族はいつ始まったのか

「家族」を定義するのは難しい。集団生活は人類史と同じくらい古いが、「働く男、家を守る女、子ども」といった「家族」は普遍的でも何でもないからである。

「絶対に挫折しない日本史」 新潮新書

 そもそも、人間以外の霊長類は、「家族」を持たない。オスとメスがセックスをして子どもを残すことと、彼らが一緒に住み続けることは同義ではないからだ。

 ゴリラやチンパンジーの社会では、メスが母親のもとを離れ、パートナーを見つけ出産をするという。おそらく初期人類も同様の行動を取っていたと考えられるが、サバンナに進出することでその行動は変化を迫られた。