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古市憲寿が杉田水脈衆院議員に伝えたい「ジェンダーフリーは家族観の崩壊か?」

『絶対に挫折しない日本史』より#1

2020/10/24
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「夫婦」が葬られた古墳はほとんどない

 一気に時代が新しくなってしまうが、3世紀から7世紀に列島中に作られた古墳からも昔の「家族」の姿を窺い知ることができる(注5)。

 古墳とは、権力者の墓である。そして多くの場合、複数人が葬られる(注6)。しかし古墳で最も重要なのは初葬者だ。その人のために古墳は作られるからだ。

 古墳研究によると、その初葬者は男性もいれば女性もいた。特に3世紀から5世紀くらいまでは、男性と女性の割合が等しかったという。つまり、この国には男性リーダーと同数の女性リーダーがいたことになる。21世紀の日本で女性政治家や管理職の少なさが問題になっていることを考えれば嘘のような話だ。

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 5世紀頃から、次第に初葬者が男性の古墳が増えていく。ちょうど大和政権が列島統一を進めていった時代だ。朝鮮半島との軍事的緊張も、男性優位の社会を作る要因になっていったのだろう。少なくとも権力者層では男女どちらの血縁も重視する「双系制(そうけいせい)」の国から、父方の血縁のみを重視する「父系制(ふけいせい)」の国に変化していったらしい。

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 古墳研究ではもう一つ、面白いことがわかっている。時代を通じて、「きょうだい」が重視されていたらしいのだ。実は、夫婦が中心となって埋葬されている古墳はほとんどない。

「サザエさん」の家でたとえれば、サザエとカツオが埋葬された墓にマスオさんがいないということだ(注7)。マスオさんはどこに葬られたのだろうか。帰葬(きそう)説が有力である。つまり、婿や嫁は、自分の出身地の陵墓に戻って埋葬されたというのだ。

 古墳時代が終わっても、「きょうだい」が重視される時代は続いた(注8)。平安時代の貴族たちも、出自が異なる夫婦は、それぞれが自分の父系の墓に葬られることが多かったという。古代において重要だったのは、結婚という契約よりも、血縁を根拠とした「一族」だったのである。