安倍政権以来、保守とリベラルの対立軸としてずっと横たわっている「家族」の問題。保守派議員が理想とする「伝統的な家族」像は本当に「伝統的」なのか。前編に続いて、古市憲寿氏の『絶対に挫折しない日本史』から、「家族と男女の日本史」を紐解いていく。(全2回の2回目。#1を読む)

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平和な江戸時代、女性の地位が下がった

 中世までは女性が、「家」の土地を所有したり相続することもあったが、近世(江戸時代)に近づくにつれて、女性が「家」の主になることが難しくなっていった。

 それでも同時代のヨーロッパよりはマシだったようだ。16世紀半ばに日本へ訪れたキリスト教の宣教師は、日本では処女でない女性も結婚ができること、妻から離婚する夫婦がいること、妻が夫の許可を得ずに好きな場所へ行ける権利を持っていることなどを驚きと共に記している(注17)。

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 17世紀から始まった江戸時代は、女性の地位がはっきりと低下した時代だと知られている。特に武士などのエリート階級では、男性の家系のみが重視され、女性は「子どもを産む機械」扱いだった(注18)。

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 女性の地位が低下した理由の一つには儒教の影響があると言われている。江戸時代は、平和な時代である。その平和は、秩序によって担保されていた。身分差別や男女差別を正当化することで、秩序は保たれた。江戸幕府が差別の根拠として用いたのが儒教だったのだ。

 江戸時代前期に発行された『女鏡(おんなかがみ)秘伝書』という女性向け自己啓発書がある。その中で、若い男たちは色白でたおやか、「柳の風」の女性を好むという記述がある。同時に、骨太で指の大きな女性になることを諫める記述があり、当時はすでに、か弱い女性がある種の理想になっていたことがわかる。

 全員が死に物狂いで働かないと生きていけない時代に、このような「理想の女性」像は成立しにくい。時代や地域ごとに「美人」は存在しただろうが、食べていくのが精一杯の階層の人々は、「理想の女性」を論じている余裕などなかったはずだ。

 平和で、ある程度の豊かさが担保された時代だからこそ、色白でたおやかな女性を理想とするような、「女性差別」が進行したとも言えるだろう。