1ページ目から読む
6/6ページ目

イメージは「田舎の農家」

 男性の代表は「家長」と呼ばれる。たとえば農業が家業である場合は、家長は妻子や奉公人に1日の仕事を指示した上で、自らも農作業に関わる。家長は、社長のような存在でもあったのだ。彼はきちんと「家」を切り盛りして、次世代にもきちんと「家」が継承されていくことを目指した。

©iStock.com

「田舎の農家」をイメージしてもらえばいい。職住一体で、家事と労働の違いも曖昧で、男も女も子どもも働く。おじさんやおばさん、奉公人など親族以外が同居することもある。田植えや道路整備などにおいて、村単位での仕事も多い。中世から近世にかけては、これが列島中に広く見られた「家」の姿であり、「夫が外で働き、お金を稼いで妻にわたす」というような「家」はまず存在しなかった。

【続き】『絶対に挫折しない日本史』(2)を読む

ADVERTISEMENT

注1 山極寿一『家族進化論』東京大学出版会、2012年。

注2 ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』河出書房新社、2016年。

注3 宮城県東松島市の里浜貝塚の事例。詳しくは、山田康弘『縄文人の死生観』角川ソフィア文庫、2018年。

注4 現実的には骨からミトコンドリアDNAを採取して、遺伝子的なつながりを検討する方法がある。しかしミトコンドリアDNAは母系遺伝しかしないなどの問題があり、縄文時代の骨でそのような研究は実施されていないようだ。ただし、大人と子どもの合葬例を「親子」と見なす研究者は多い。

注5 清家章『埋葬からみた古墳時代』吉川弘文館、2018年。

注6 中には長野県の森将軍塚古墳のように、81人もが埋葬されていた事例もある。しかし多くの場合、埋葬者は2人から数人である。

注7 正確にいえば、サザエはマスオのフグ田姓を名乗っており、マスオさんは戸籍上の婿養子ではない。

注8 総合女性史研究会編『日本女性史論集4 婚姻と女性』吉川弘文館、1998年。

注9 相手のことを「ツマ」、呼びかけのことを「トヒ」もしくは「ヨバヒ」といった。

注10 久留島典子ほか編『ジェンダーから見た日本史』大月書店、2015年。ジェンダーの問題に関して、適時この本を参照している。

注11 今津勝紀『戸籍が語る古代の家族』吉川弘文館、2019年。

注12 梅村恵子『家族の古代史』吉川弘文館、2007年。

注13 これが8世紀の系譜になると、同じ父親から生まれた子どもが1つのグループとなり、男子が優先して記されるようになる。

注14 藤原道綱母によって10世紀後半に『蜻蛉日記』が書かれた。『源氏物語』などにも影響を与えたと言われる。ちなみに貴族層では11世紀後半までに一夫一婦制が成立したと考えられている。

注15 『大鏡』には死没年が確認できる人が男性168人、女性62人いるが、その年代を検証した研究による(梅村恵子『家族の古代史』吉川弘文館、2007年)。

注16 平安時代ほどではないが、出産はつい最近まで女性にとって非常に危険なライフイベントだった。1899年の妊産婦死亡率は10万人あたり409. 8。この数値は2017年には3. 4まで下がっている(厚生労働省「人口統計資料集」2019年)。

絶対に挫折しない日本史 (新潮新書)

古市 憲寿

新潮社

2020年9月17日 発売