『ロングバケーション』までは主役を張れなかった
木村の人たらしエピソードは枚挙に暇がない。スポーツ紙芸能デスクは「それも彼が身に付けた処世術。実は、木村は若いころ苦労をしているんです」と明かす。
「木村は1987年、中学3年の時にジャニーズに入所。おばさんが本人に内緒で履歴書を送ったのがきっかけだった。光GENJIのバックで踊るスケートボーイズのメンバーになり、翌1988年にSMAPが結成された。当時からジャニオタの間ではクールな王子さまとして人気でしたが、連ドラの主演に抜擢されたのは稲垣吾郎が先なんです。
1992年に稲垣吾郎が『二十歳の約束』(フジ系)の主役を演じましたが、木村が同時期に演じたのは一色紗英主演の『その時、ハートは盗まれた』(フジ系)の憧れの先輩役。主役ではないのです。1993年の『あすなろ白書』(フジ系)でもお調子者のサブキャラだった。1996年に初主演した『ロングバケーション』(フジ系)でブレイクしましたが、それまでは木村本人も不本意だったでしょう。
そういう経緯もあって、木村はスターであることに慢心しない。しかも彼は『どうすればカッコよくみえるのか』『どうすればダサいのか』に鼻が利くんです」
萩本欽一さんに「おいなり君」と呼ばれて
こんな話がある。SMAP結成後すぐ、木村は草彅剛と一緒に、故・ジャニー喜多川氏と親交の深い萩本欽一さんの下へお笑いの勉強のために送り込まれた。しかしレッスンを始めたばかりの時に、欽ちゃんが木村を『おいなり君』と名付けたために、木村がそれを嫌がって通わなくなったのだ。
「もし我慢していたら、勝俣州和と一緒に『CHA-CHA』としてデビューしていたかも(笑)。当時は生意気盛りだったこともあるでしょうが、木村には『こういうアイドルになりたい』といった明確なビジョンがあったんでしょうね」(同前)
その「ビジョン」は間違っていなかった。その後、木村はトップスターに上り詰めていく。ロン毛、ロレックス、デニムに革ジャン、ウォレットチェーン……。木村のスタイルを真似る後輩ジャニーズは現在も多い。