加瀬教室
気晴らしとなるはずの大学生活でも、木村の心は晴れなかった。「授業中も、サークルに出ても、将棋のことが頭を離れないんです。三段リーグの成績は上向かないし、といって退学にも踏み切れなかった」
そんな時、千葉県市川市で毎週、将棋教室を開く先輩棋士から「手伝いに来てほしい」と頼まれた。「同じ千葉なので、昔から『木村という強い子がいる』とは聞いていました。『口が悪い』といううわさも。でも、会ってみると礼儀正しい好青年で、助手を頼んだんです」とその先輩、加瀬純一(かせじゅんいち・七段)は回想する。
年配者から子どもまで幅広い生徒らを指導するのが、木村の仕事になった。指導対局は教える側の上手(うわて)が、教わる側の下手(したて)の棋力に応じて駒を落とすハンディ戦だ。下手の実力向上が目的で「どううまく勝たせるかが上手の腕の見せどころ」ともいわれる。しかし、木村の指導は「激辛」だった。
「奨励会員なので、負け癖がつくのは良くないと思い『わざと負ける必要はないよ』と言いました。それでも普通は生徒に気を使うんですが、木村君は毎回ほぼ全勝でした」。生徒が減らないか心配する加瀬に、木村は「私は教室をつぶすつもりで指します」ときついジョークを飛ばした。
ところが木村は、すぐ人気講師になった。当初から指導を受ける産婦人科医の千本英世(ちもとひでよ・75)は「感想戦でのフォローがうまく、『次こそは』と思わせる。負かされても、みんな納得なんです」と語る。「教室の後の飲み会も明るい酒で、すぐファンになっちゃった」
千本は半年に一度、三段リーグの星取表が発表されると、まず木村の対戦欄をすべて白丸で埋め、全勝を祈願した。しかし、リーグが進むと、黒く塗りつぶさなければならない対局が増えてくる。「その時がつらかった」。同じような気持ちで、木村のプロ入りを待望する生徒はどんどん増えていった。
それから四半世紀以上が過ぎても、木村は加瀬教室で毎月教えている。「奨励会時代、彼ほど指導対局を指した棋士はいないのでは」と加瀬は語る。駒落ち将棋の上手はギリギリのしのぎが要求される。木村は王様自ら陣頭に立って戦う「玉さばき」に定評があるが、「棋風に影響した部分もあったのかも」。古参の生徒たちは「うちらが鍛えてやったんだ」と遠慮がない。
教室の後の飲み会も恒例だ。「どんなに活躍しても、忙しくても、ずっと来てくれた。本当に義理堅い男です」と加瀬は感謝する。その姿勢は、王位となっても変わらない。
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この続きは、『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』(東京新聞)に収録されています。