「千駄ヶ谷の受け師」と呼ばれる棋士がいる。木村一基九段、47歳。

 プロデビューは23歳と遅咲きだったが、1998年度には将棋大賞新人賞を受賞。翌年度には勝率第1位賞を受賞するなど活躍を続ける。2005年には、ついに竜王戦でタイトル初挑戦を決めた。

木村一基九段 ©文藝春秋

 その後もタイトル戦の舞台に進んだものの、「あと一歩」があまりに遠かった。「勝てばタイトル獲得」となる対局では8局連続で負け。特に深浦康市九段との第50期王位戦七番勝負は、3連勝後に4連敗という記録的なシリーズとなった。

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 ファンからも棋士からも愛され、ついには46歳で初タイトル「王位」を獲得した木村の歩みを丹念に描いた『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』(東京新聞)は、涙なしには読めない名著として評判が高い。木村のプロ入り前のエピソードを一部抜粋して紹介する。

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ライバルたち

 1984年正月。札幌駅前にある東急百貨店は、恒例の「将棋まつり」でにぎわっていた。当時小学4年の野月浩貴(のづきひろたか・八段)は、同じ札幌市内に住む小学6年の屋敷伸之(やしきのぶゆき・九段)と雑談しながら、小学生大会が始まる直前の高揚感を紛らせていた。

「おれ、千葉から来たんだ」。向かいの席から割り込んできたのは、屋敷の対戦相手の少年だった。札幌の祖父母宅に親と帰省中、電車の広告で大会のことを知って参加したという。野月と同い年だった。自信満々な口ぶりで、木村一基と名乗った。

「屋敷君を知らないんだな、かわいそうに」。野月はほくそ笑んでその場を離れた。屋敷は前年の小学生名人戦でベスト4に入り、その模様はNHKで全国放送された。野月や金沢孝史(かねざわたかし・五段)ら、逸材がそろう北海道の少年棋界でも抜きんでた存在だった。

『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』(東京新聞)

 しかし1回戦の対局を終えて戻った野月は、目を疑うことになる。矢倉戦から入玉模様の将棋となり、怪力を発揮した木村が勝ちきっていた。さらに金沢も破り、野月と決勝戦を争うことになった。ただ、強敵との連戦で疲労もあったか、決勝は野月が得意の四間飛車で快勝した。

 舞台に並んでの表彰式で、野月はもう一度驚かされた。式の最中だというのによくしゃべる子だった。自分は将来プロになる。もう師匠に弟子入りもしている。「お前はどうするの?」。野月がプロ棋士という存在を意識したのは、その時が最初だった。

 同年夏、東京・千駄ケ谷の将棋会館五階にある宿泊室。青森県弘前市から訪れていた小学5年の行方尚史(なめかたひさし・九段)は、テレビに映るロサンゼルス五輪の中継を眺めながら、その日の対局を思い返していた。

 上京は小学生名人戦に出場した春以来、2度目となる。今回は、プロ養成機関「奨励会」の下部組織に当たる「研修会」の入会試験を受けるためだった。当時はベビーブームの影響もあって奨励会の受験者数が多く、不合格者の受け皿として研修会が発足して間もないころだった。