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 豊島の指し手は速い。何せ通い慣れた道である。初日夕方の70手まで、1時間も使わなかった。最終局も豊島が攻め、木村が受ける展開となった。2時間12分という大長考で豊島が封じ、1日目の対局が終わった。実は豊島はその場面、次の手を早くに決めていたが、あえて封じ手の時間まで待った。その先に登場する局面が難解とみていたためだ。手前で封じれば、一晩考えることができる。しかし、その作戦は裏目に出た。

 立会人の塚田泰明は控室で、木村が自陣に打ち付けた受けの桂馬を指して言った。「この桂が働くかが鍵。うまく攻めに使えれば、挑戦者が良くなる」

『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』(東京新聞)

 その夜、木村は形勢をやや苦しいと感じていたが、「反撃の順もあるので、先手の方が苦労するかも」と開き直った。不眠に苦しんだいくつもの夜がうそのように、この日はぐっすり眠れた。

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 木村の予想は当たっていた。眠れない夜を過ごしたのは豊島だった。豊島は夢中になって手を読んでいた。読むほど面白い手順が続々出てくる。「よくできているな」と感心しながら、詰むや詰まざるやの難解な局面を考え続けた。将棋というゲームの奥深さに取りつかれたその夜が、皮肉にも豊島の敗因となった。

ふたりの棋譜

 2日目朝、封じ手から3手後の木村の応手が、豊島には誤算となった。桂馬での金取りを、引いてかわすか、寄ってかわすか。豊島は引く一手と断じ、その前提で深く読み進めていた。しかし、木村は金を寄った。金引きでは「角を成られて絶対に勝てない」という木村なりの大局観があった。自分の読みを信じる豊島と、勝負勘を大事にする木村。両者の将棋観の違いが表れた応酬だった。

 豊島が前夜、脳を振り絞って考えた無数の手順は水泡に帰した。美しい変化があり、華麗な詰みもあった。「将棋は思った通りにいかないものなのに、冷静さを欠いていた」。落胆した豊島は、その5手後に緩手(かんしゅ)を指してしまう。実は互角以上に戦える手段があったが、「嫌な変化が気になって逃してしまった。読む力、根気のようなものが残っていなかった」。