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 その隙を、木村は逃さなかった。銀を打ち、角を打って王手で迫った。脳裏に18手先の閃光が走ったのは、この時だった。「受け師」と呼ばれる木村が、ここから自玉の王手を避ける以外、すべて攻めの手を指した。木村は常々「受けは攻めの準備」と口にする。それまでの長い長い準備期間を爆発させたかのような、完璧な攻めだった。

記録係が記入した王位戦第7局の棋譜用紙 ©文藝春秋

 豊島は静かに、しかし必死でもがいていた。自身の直感は負けと言っているが、膨大な読みの中に逆転の手順が一瞬見えた気もしていた。だが深く読み進めると、わずかに木村玉は詰まない。勝ち筋は幻と消え、ついに敗北を悟った。

 102手目、木村の想定していた局面が訪れた。40手前、自陣に打った桂馬が急所へと跳ね出し、豊島の玉に止めを刺した。木村自身にとっても、この七番勝負で最も印象に残る一手となった。「普通は読み抜けがあって、思った通りにいくなんてことはまずないんですが」。中盤に張られた伏線が絶妙な形で回収される、優れた小説のような棋譜だった。

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 形作りの王手を二つだけかけて、ほどなく豊島が投了した。午後6時44分、王位・木村一基が誕生した。敗者が対局中に負けを受け入れるのに対し、勝者は相手が頭を下げるまで気を緩めることができない。「局面のこと以外、何も考えていなかった」。念願のタイトルを得た実感もないまま、木村は激闘の余韻の中にあった。対局室に無数の報道陣が押しかけてくるのを、ただ戸惑いながら眺めていた。

 豊島は手痛い失冠にも表情一つ変えなかった。「やり切ったという思いでした。負けはしたが、すがすがしい気持ちでした」

 第7局は、木村の「生涯の代表局になる」と評されるほどの会心譜となり、19年度の最も優れた対局に贈られる「名局賞」も受賞した。ただ、それは二人の棋士が紡いだ棋譜だった。どんなに優れた棋士も、一人だけで名局をつくり上げることはできないのだ。

終局時には、多くの報道陣が詰めかけた ©文藝春秋

それぞれの涙

「大丈夫か、大丈夫か」「まだまだ、投了まで分からない」――。王位戦最終局2日目の夜。加瀬純一は千葉県市川市の自宅で開いている将棋教室の生徒らと、近くの居酒屋に集まり、その時を待った。木村はプロ入り前から、加瀬教室で一般の生徒を教えている。厳しくも温かい指導を受けた者は皆ファンになり、木村がタイトルに挑戦するたび応援を続けた。今回の七番勝負でも、何人かははるばる札幌や福岡まで応援に駆けつけた。