かつて、映画には音をフィルムに入れる技術がなく、台詞も音楽も収録できなかった。この時代の映画は後に「無声映画」「サイレント映画」と呼ばれ、「活動写真弁士」と呼ばれる人々が物語や背景、そして劇中の人物たちの台詞をライブで演じていた。
台詞や音楽が収録できてからは廃れてしまったが、現在でも無声映画を上映する機会はあるため、少なくない人たちが弁士を生業としている。筆者と同い年の友人・片岡一郎もその一人だ。
彼は演者としても一流だが、無声映画史の研究者としても確かなものがある。そんな片岡が、この10月30日にその研究の集大成ともいえる著書『活動写真弁史』(共和国・刊)を刊行することになった。
弁士たちの歴史を通史として追った内容で、600ページにわたる大著になっている。
この刊行を記念して、今週と来週は「初心者でも弁士の魅力を味わえる無声映画」として片岡にレコメンドしてもらった作品を紹介したい。
今週取り上げるのは、『沓掛時次郎』。時次郎は渡世の義理で、何の面識もないやくざ・三蔵を斬ってしまう。三蔵には女房・おきぬと幼い子供・太郎吉がいた。二人を不憫に思った時次郎は、この母子を連れて旅に出ることにする。
時次郎には大河内傳次郎。このDVDでの弁士は、片岡の師匠・澤登翠が務めている。
無声映画の魅力は、役者の芝居や映像のテンポが、弁士の名調子や音楽と織り交ざった際に巻き起こるエモーションの高まりにある。本作は、その楽しさにあふれている。
たとえば、序盤での時次郎が三蔵を斬る場面。「横に払った一刀、思ったよりも深手であった。三蔵は朱に染まって倒れた」といった説明と共に映し出される大河内の美しい殺陣、「この下道(ママ)、女子供に何をしやがるんだ!」「おもしれえ、俺が斬れるもんなら――斬ってみろ!」といった威勢の良い口跡の台詞とともに映し出される大河内の勇ましい表情。そして一転して情感ある場面になると、「ちゃん、死んじゃ嫌だよ――」「坊や、泣くんじゃねえ。おじちゃんがついてらあ」と澤登の口跡もたっぷりと情緒を伝えてくる。
中盤の時次郎の状況を伝える説明もかっこいい。「やくざ長ドスさらりと捨てて、浅間三筋の煙がなびく。生まれ在所の沓掛へ。可愛い子供と哀れな女。それがおいらの振り分け荷物」思わず真似したくなるような、名調子だ。
感情や情緒を縦横無尽に表現する澤登と、哀愁と情感豊かな映像と大河内の芝居。双方が巧みに合わさり、胸かきむしられる感動が起きる。
無声映画が初の方でも新しい娯楽として楽しめるはずだ。