単勝8820円、あっと驚くギャロップダイナの衝撃
あとになって思えば、シンボリルドルフにしては急いでいたような気もする。早めに動いて直線の半ば過ぎで先頭に立つと、外からウインザーノットが馬体を並べてきて、ようやく振りきったと思ったとき、さらに外から勢いよく追い込んでくる馬がいた。
ギャロップダイナ!?
あのとき以上の驚きはいまだにない。有馬記念でディープインパクトが負けたときも驚いたが、負かしたのはハーツクライである。ギャロップダイナは翌年の安田記念に勝つことになるが、このときはまだ重賞勝ちもなく、13番人気だった。単勝8820円はいまも残る天皇賞(秋)の最高配当である。
皇帝ルドルフ、屈辱の一戦——。もし「ルドルフの呪い」があるとするならば、この天皇賞がその源になるのだろうか、などと思った。
オグリキャップはついに天皇賞を勝てなかった
秋の天皇賞の話を続けると、87年にニッポーテイオーが1番人気で逃げ切ったが、そのあとから1番人気馬は12連敗している。ただ負けたのではない。多くのスーパーホースが、それこそ「呪われたような」敗戦を喫しているのである。
オグリキャップは天皇賞に勝てなかった。タマモクロスに負け、スーパークリークに負け、3度目の挑戦となった90年はヤエノムテキの6着に沈んだ。3度とも1番人気だった。
91年にはプレクラスニーに6馬身の差をつけて独走したメジロマックイーンが、スタート直後の斜行によって18着に降着になる“事件”がおきた。祖父のメジロアサマ、父のメジロテイターンは秋の天皇賞馬だが、マックイーンは東京競馬場で勝てなかった。
92年はシンボリルドルフの息子トウカイテイオーがレッツゴーターキンの7着に負けている。父の雪辱どころか、無敗の7連勝中をつづけていた馬は、春の天皇賞5着につづく連敗という屈辱を味わった。このあと外国の強豪が揃ったジャパンカップに勝ったが、有馬記念では11着と大敗。ジェットコースターのような1年だった。