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「私の父は何者?」河瀨直美監督が、養女として悩んだ10代を乗り越えて『朝が来る』を撮ったワケ

「私は、事実を知りたかった」

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河瀨 はい。両親は、私がお腹にいるときから別居状態で、私が1歳半の時に離婚しています。母もまた両親が離婚していて、祖母がシングルマザーで育てたそうです。祖母には母の下に3人の男の子がおり、子育てが終わっていなかったので、母は祖母には頼れなかった。それで、河瀨家――子どもがいない大伯母夫婦のもとで私を生みました。養子縁組をした小学4年生まで、私は母の姓を名乗っていたので、おそらく母もどこかのタイミングで私を呼び戻したいと思っていたと思うのですが、結局母のもとに行くことはありませんでした。当時、私の戸籍にはバッテンがついていたんですよ。

©2020『朝が来る』Film Partners

有働 え、河瀨さんの戸籍にバツがつくんですか。

河瀨 はい。父親と母親の籍から抜けるので、私の戸籍にバツがついて、養子として河瀨家に入るんです。戸籍が電子化されてからは表記が変わり、バツはつかなくなりました。

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 1988年に始まった特別養子縁組制度では、新しい戸籍で実子として迎え入れられるので、特別養子縁組という制度をもっと知ってほしいという思いも、この作品を撮る原動力の一つでした。

「この人は何者?」

有働 河瀨さんは、自分が養子だということに、いつ気づいたんですか。

河瀨 大伯母夫婦は年齢がおじいちゃん、おばあちゃんの世代なので、小学生ぐらいの時には本当の親ではないと分かっていました。でも父のことを聞いても、一切教えてくれない。「今、幸せやろ?」と流されるだけだった。それで、自分で市役所に戸籍を調べに行きました。当時は未成年でどうしたらいいか分からなかったので、「就職先の人が自分の戸籍を見たいと言っています」と嘘をついたら、別室に連れて行かれて「その企業はどこですか」って逆に詰問されて(笑)。

©2020『朝が来る』Film Partners

有働 そんな企業があるほうが問題ですから。