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「病院に任せれば全ては良くなる」ゼロリスク信仰の影響

 患者さんの医療不信を論じる上では、病院に任せれば全ての疾患は良くなる、という患者家族の「ゼロリスク信仰」の影響も無視できません。

 薬剤に作用と副作用があることをはじめ、治療行為は常にリスクとベネフィットの両輪の関係を持ちます。身体にとって望ましい効果を得ようとする時には、不利益を被る可能性も必ず存在するものです。しかし医療においては、治療を受ける側に、望ましい効果「だけ」を想定する感情が存在すると明らかになっており、人々は医療行為によって自らの身体に不利益が生じる可能性の排除、つまり「リスク」の排除を強く望みます。

 例えば、副作用の可能性が少しでもあるならワクチン接種はしないという態度、自分の手術は絶対に失敗しないはずといった気持ちなどもそうですし、医療行為は疾病への対応としてわざわざアクションを起こすものであるから、これを原因として別の障害が生じる、あるいは死に至るようなことはあってはならないという思いも、ゼロリスク要求が高いと捉えることができます。

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 現代は、治療の良い部分とそうでない部分の両面を説明して同意を得る「インフォームド・コンセント」が医療の主流であり、もちろん患者さんの身体に起こる不利益をできる限り排除することは医療従事者の重要な役割ではあります。その一方で、患者さんのゼロリスクへの信仰は、医療への期待を、実現不可能なまでに高く押し上げているように感じます。

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 また看護領域では、第二次世界大戦以降、看護婦は医師の診療の補助が主な仕事で、患者さんの日常生活の援助は、患者さんが雇う付添婦によるものが主でしたが、1950年に付添婦による看護をなくし、全ての日常生活への援助を看護婦が行うことで診療報酬が加算される「完全看護」と呼ばれる制度が施行されました。

 深刻な看護婦不足によりこの制度は10年経たずに実質上の廃止となるものの、「入院すれば何でも看護婦がやるのが当たり前、看護婦ができて当たり前」という患者さんや家族の意識は、看護婦の名称が看護師に変わった現在も、確実に残っているように感じます。

 上記の高野さんのケースでは、息子さんの中に「入院していれば絶対に悪くならないはず」というゼロリスクへの思いも、看護師が24時間目を離すことなく本人を看ているだろうという完全看護への強い期待もありました。入院時に看護師が詳しく話を聞けたことが、最終的には、息子さんが医療不信に陥り続けない、少なくとも息子さんの言葉の上では穏やかな看取りに繋がるひとつのきっかけとなっていましたが、それは偶然にも高野さんの入院の日に他の患者さんの状態が落ち着いていて、ある程度私に時間があったから話を聞けたというのが実情です。

 高野さんが急変し、人工呼吸器を装着した時に息子さんと長時間話せたのも、早番の業務を全て同僚が引き受けてくれ、離床センサーが鳴ったら駆け付けなくてはいけない転倒リスクの高い患者さんが複数人いても、私が息子さんと話すことを大切にできるくらいにはその日の人員に余裕があった。正確には、人員に余裕はないけれど、病棟が火の車になってでも、私と息子さんの話し合いを最優先すべきだとスタッフ全員が認識していた。そういった背景があってようやく成り立った会話でした。