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「病院に任せれば悪くはならない」「24時間見てくれる」看護師を苦しめる“素朴な信仰”

『医療の外れで』より #2

2020/11/04

 セクシュアルマイノリティ、生活保護受給者、性風俗産業の従事者——。マイノリティと呼ばれる存在は、医療とどう関わっているのか。現役看護師が執筆した「医療の外れで:看護師の私が考えたマイノリティと差別のこと」(晶文社)が刊行される。

「社会や医療から排除されやすい人々と医療従事者の間には、単なる愉快不愉快の問題でもなければ、一部の医療従事者にだけ差別心があるといった類の話でもない、もっと根深く、致命的なすれ違いがあるように思います。

 マイノリティや被差別的な属性の当事者が積み重ねてきた背景と、医療従事者が積み重ねてきた背景は、社会の中で生きている意味では地続きのはずなのに、しかしどこかで分断されているような気がするのです。」

 そう始まる本書の中から、医療不信に陥る患者や家族のエピソードを、一部抜粋・編集して掲載する。(全2回のうち2回目/#1「『あなたたちが変な薬を盛ったんだ』入院患者の家族に責められる看護師たちの苦悩」はこちらから)

※病院のエピソードは患者の個人情報の守秘義務上、疾患、背景、シチュエーションなど、個人特定に繋がらない段階まで脚色、改変しています。

◆◆◆

 ひとりでナースステーションに戻ると、主治医から病状説明でのやり取りを聞いた師長が青ざめた顔をして「どう?」と駆け寄ってきました。

 大丈夫です、色々お話してくださって。えっと、訴えられたりはしないと思います。たぶん大丈夫です。そう私が伝えると師長はほっとしたように「お疲れ様。ありがとう」と声をかけてくれ、私は張り詰めていた緊張と、集中力と、その他いろんなものが一気に切れてしまって、なんか疲れちゃったなあ、と言いながらボロボロ泣いてしまいました。

 元々高野さんは心臓にも病気を抱えており、人工呼吸器を付けた後も徐々に身体の状態が落ち、翌週お看取りとなりました。「ありがとうございました。ここで最期を迎えられて良かったです」そう話す息子さんは、とても穏やかでした。

家族が医療不信を抱く背景

 患者さん、あるいは患者さんの家族が医療に関して不信を持つようになる背景には、医師―患者家族間のコミュニケーションが影響していることが明らかになっています。診察や病状説明の際に医師の態度が威圧的だった、話の間中ずっとカルテを見ていた、急に説教をされた、そういったコミュニケーション上の不満の蓄積が医療不信に繋がると指摘されています。

 研究自体は医師―患者間の関係に焦点を当てていますが、看護師―患者間の関係にも類似の構造があると私は考えます。

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 看護師は仕事の性質上、患者さんや家族と向かい合う物理的な機会を非常に多く持ちます。日々の看護の中で、例えば、車椅子への移乗介助が力任せだった、爪が伸びたままになっている、何の説明もなく点滴の量が変わる等、看護師側からすれば「生死に直結しないから」と優先順位が低くなっているケアや説明不足が患者や家族にとってはたまらなく不安なことである、という光景は、私自身、臨床の中で頻繁に目にするものです。

 患者さんや家族、あるいはプライベートの知人友人から別の病院に関して「あの病院はちゃんとやってくれない」との話を聞くことも珍しくなく、詳しく聞いていくと、そういった、我々が後回しにしがちなケアやコミュニケーションの不足が病院への不信感の原因となっている例も多くあります。私が働いている病院も、きっとどこかでそんな風に言われているんだろうな、とも思います。

医療の外れで:看護師の私が考えたマイノリティと差別のこと

 コミュニケーション不足が医療不信に影響するというデータの一方で、患者さんが感じる医療者の共感度が高いほど、服薬順守や生活習慣の改善を通して疾患(研究では、2型糖尿病を基礎疾患として発症する心血管障害)の予後が良好となるというデータもあり、医療者―患者間におけるコミュニケーションの量と質の重要性がうかがえます。