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「病院に任せれば悪くはならない」「24時間見てくれる」看護師を苦しめる“素朴な信仰”

『医療の外れで』より #2

2020/11/04

どれだけ職場で信頼関係が確立されているか

 新米看護師として病棟で働き始めた直後、あまりの多忙さと、看護師の上下関係の厳しさに呆然としました。疾患の治療を最大の目標とした病棟で最優先すべきは、適切な処置と循環動態の観察、そして患者さんのその瞬間ごとの身体の安全の確保で、患者さんの背景や家族の背景といった、目に見えず、データにも表れない事象について考える時間も、気持ちのゆとりもありませんでした。

「間違えたら、見逃したら死ぬ」人を同時に何人も看るプレッシャーに加え、患者さんの髭や爪を気にするだけで上司から「そんなことしてる場合じゃないでしょ」と言われ、ミスをすれば「あんたのせいでみんなの仕事が増えるんだよ」と責められる。

 そんな環境の中では、循環動態を観察し、点滴と輸血を捌き、手術検査の送り迎えをし、転倒や褥瘡(床ずれ)といった身体的な異常を防ぐことに必死で、徐々に、目の前の人が自分と同じように心を持つ人間だと思えなくなっていきました。

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 患者さんや家族からの、テレビを付けて欲しい、氷枕を替えて欲しいといったナースコールですら「やらなくたって死なないこと頼まないでよ」とイライラして、そんな気持ちはどんなに隠そうとしても、どこか態度に出ていたのではないかと、そうして生まれたすれ違いは、患者さんや家族の不満に、ひいては医療不信に十分に繋がり得るものだっただろうと、今振り返れば思います。

 その後、別の病院に転職して配属された病棟は、多忙さ自体は以前と変わらないものの、少なくとも患者さんの「やらなくても死なないことを、それでもやる」行為を上司から否定されることはなく、誰かが手一杯であれば他の誰かがフォローする人間関係が成立している病棟でした。この職場の管理職は、この病院はきっと私を守ってくれる、と信頼が生まれた後に起きたことが高野さんのエピソードです。

 看護師への不信を露にする息子さんを前に、私が「早番の業務を放り出してでも今、息子さんの話を聞くべき立場にある」と即座に考え実行に移せたのは、「万が一ひとりで対応できなくなった時、例えば暴力的なまでに詰め寄られた時や訴訟を持ち出された時には、必ず上司が助けてくれる。私だけの責任として誰も彼もから責められることは絶対に無い」と、チームを信頼していたからこそ可能になった行為でした。

©iStock.com

 上下関係が強固な病棟看護師の人間関係の中で、「自分の対応が完璧でなかったら職場内で責められるかもしれない、職場に居場所がなくなるかもしれない」と思いながらの、逃げ腰で曖昧なコミュニケーションは、確実に患者さんや家族に伝わってしまうだろうと思います。

 100%患者さんに向き合う大前提としての、職場内の人間関係の重要性を強く感じます。医療現場の人手不足が患者家族の不満に繋がる、というのはよく耳にする論ですが、看護がチームの仕事である以上、きっと単に職員がたくさんいるだけでは駄目なのです。「人手」の中の人間間でどれだけの信頼関係が確立されているか、どれだけ居場所があると思えているかが、病の混乱の中にある患者さんに対して専門職としての関係を築く土台になると私は考えます。

 そしてその土台は、例えば私が高野さんの息子さんから「看護師のせいで状態が悪くなったんじゃないのか」と言われた時の、心臓が潰れるような胸の痛み、「こんなに必死にやっているのにどうしてこんなことを言われなくてはいけないんだ」という無力感を、それでも乗り越え、看護師で在り続けようと思う上での、私自身へのケアにも直結しています。