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メディアによる医療否定報道の影響

 患者家族の医療不信の背景については、メディアによる医療否定報道の影響についても触れる必要があります。近年、週刊誌を中心に展開される医療特集は、「医者に騙されるな」というコンセプトのもと、薬や手術に懐疑的な「医療否定」キャンペーンとでも呼ぶべき内容が非常に多く、新聞広告や電車の中吊り広告ですら、具体的な薬剤名や手術名まで明記され、批判されています。

 医師個人の責任を過剰に責め立てるような報道がなされることで医療従事者と患者さんの信頼関係構築が妨げられかねない、という医療関連の情報発信への危機感は、2000年代初頭には既に医療・福祉分野の専門誌で論じられているトピックです。さらに西洋医学を否定し、自分の力で病気を治そうとするいわゆる代替医療について、近年は医師免許を持つ人間自らが、癌治療には意味がないなどと言い出す例もあります。

 また、インターネット、特にSNSの急速な普及により、センセーショナルで正確性を欠く情報の拡散が今までになく増えており、一般の人々が科学的に正確な情報を取得するのは非常に困難なこととなっているのが現状です。

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共に歩み寄れる医療を

 医療不信について考える時、「こんなに必死にやってるのにどうして信じてくれないの」と泣きたくなります。そして一方で、病の当事者にとって、医療従事者の「必死」なんて関係ないことも、私は身を以て知っています。私達がどんなに手を尽くそうとも、万にひとつの副作用でさえ患者さんの身に起こったらそれは本人にとって「100%実感を伴う経験」になると考えれば、医療は結果が全てなのだと痛感します。

 あらゆる配慮をしようと、誠実でいようとすればするほど、私達の言葉は曖昧になり、患者さんが求める安心の提供は困難になります。患者さんにとって頭で理解することと心が納得することは、必ずしも一致しません。

©iStock.com

 医療情報の適切な発信に向けた議論が進むことを含め、医療従事者―患者間のコミュニケーションが健全に行われるための体制の整備が必要です。そしてそれ以上に、患者さんにとっての病をめぐる「感情」が、決して科学的正当性に基づいているわけでも合理的なわけでもないことを、医療従事者も、患者本人も理解し、その上で、人としての対話を続ける必要があると私は考えます。

 医療不信を解消するための特効策なんて存在しない。不安と恐怖が綯ない交ぜになる病の心の中で、何を信じ、誰と共に病に向き合えば良いかは、一瞬で結論が出るものではなく、思考を進めたり、引き返したりしながら少しずつ積み上げていくものでしょう。だからこそ、医療従事者―患者双方が、互いに人間であると認識し合った上での、共に歩み寄れるような医療を模索していけたら、と私は願っています。