後年、先の『Gメン’75』をはじめテレビ界に活躍の場を移してからも丹波さんの遅刻は業界の伝説となったが、その話を小耳に挟むたびに岡本さんの脳裏にこのときのコネリーさんと丹波さんとのやり取りがよぎったという。「あのショーン・コネリーさんすらホールドアップさせた丹波さんに太刀打ちできる者は誰もいない」と、岡本さんは心の底でつぶやいていたそうだ。ある意味、相手を選んで遅刻しているわけではなく、世界最高峰の名優との現場でも態度を変えない……丹波さんの遅刻は天然であり、自然体。寧ろ清々しいものすら感じてしまう。このスクリーンの外での世界的名優同士の名勝負(?)を後世にお伝えしたくてここに書かせていただいた次第である。
ヨーロッパの港町でも「タイガー田中」は知られていた
なお、丹波さんは『007は二度死ぬ』公開2年前の’65年、和製『007』を狙った東映制作のSFスパイドラマ『スパイキャッチャーJ3』にも、川津祐介さん、江原真二郎さんとともに主演しており、『二度死ぬ』出演以前から『007』シリーズとは因縁があり、『007』への出演は運命づけられていたのかもしれない。
これは生前、丹波さんに伺ったお話だが、自身の俳優人生で一番嬉しかったことは、『Gメン』の海外ロケ撮影の合間に、アフリカ大陸が見える、ヨーロッパ大陸突端にある港町へ行ったときのこと。そこにあった、中国人が営む中華料理屋に入ると、最初はけんもほろろ。ところが、穴の開くほど丹波さんの顔を見詰めていた店主が突然、「あんた『007』の……タイガーじゃないか!?」と中国語で叫んだという。それからは下へも置かぬもてなしとご馳走攻め。「こんなアフリカ大陸にほど近い、ヨーロッパの片隅の港町にまで『007』の名前が響き渡っていようとは!? いや、つくづく『007』に出て良かったと思ったね」と語る丹波さんの笑顔が忘れられない。
やはり月並みな締め括りで恐縮だが、今頃、天国のドアをノックしたコネリーさんを、丹波さんが大袈裟なジェスチャーで出迎えているのかもしれない。イギリスと日本の二人の名優を偲んで、『007は二度死ぬ』を観直してみようと思う。