昭和生まれの筆者にとってはジェームズ・ボンド以外の何者でもない、世界的俳優のショーン・コネリーさんが亡くなった。去る10月31日。享年90。滞在先のバハマで睡眠中、静かに息を引き取ったという。
イギリス・スコットランド出身のコネリーさんは、『レッド・オクトーバーを追え!』(’90年)や『アンタッチャブル』(’87年)、『ザ・ロック』(’96年)など代表作の枚挙に暇のない名優中の名優だが、こと演じたキャラクターでいえば、最も有名なのは映画『007(ダブル・オー・セブン)』シリーズの主人公、ジェームズ・ボンドである事実に異論を挟む方はないだろう。
“ボンド”は『必殺』シリーズのあの人の名前の元ネタだった
コネリーさんは、1962年公開のシリーズ第1作『007 ドクター・ノオ』で初代ジェームズ・ボンドを演じて一躍世界的な人気者に。以降、『ゴールドフィンガー』(’64年)や『ダイヤモンドは永遠に』(’71年)など計7作でハマり役となったボンド役を演じ続けた。イギリスの作家、イアン・フレミングのスパイ小説の主人公であるボンドは、秘密情報部(MIB)エージェントでイギリス海軍予備員、そしてコードナンバー007の異名を持つフィクション世界のナンバーワン・スパイだ。
昭和42年生まれの筆者にとってはスパイ =(イコール)ジェームズ・ボンド、ヒットマン = ゴルゴ13(デューク東郷)であり……もっと言ってしまえば、藤田まこと演じる『必殺』シリーズ(’72年~)の“顔”、すご腕殺し屋という裏の顔を持つ同心・中村主水の名前、“モンド”の元ネタという認識だった。なるほど、決して正体を知られてはいけない敏腕スパイの名前を、裏稼業の剣客に当てはめるというのはさすがの発想……と、名付け親である『必殺』シリーズの山内久司プロデューサーの慧眼に感心もしたものだ。
日本でロケを行った第5作で、丹波哲郎さんと共演
さて、コネリーさんの偉業については世界中の有識者の方々や共演者の名優のみなさんがコメントされることと思うので、ここではコネリーさんが日本に来たときの秘話、『007』シリーズで唯一全面日本ロケを行った第5作『007は二度死ぬ』での逸話をご紹介しよう。
もっともこれはコネリーさんというより、コネリーさんと共演した、日本を代表する名優で、今は亡き丹波哲郎さんにまつわるお話になってしまうのだが、大変貴重なエピソードなので、この機会にご紹介させていただく。