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お見合いツアーで出会い、結婚した2人

 わずか8分足らずの面会時間は、お互いの「臭い」と「立ち位置」を確かめ合う程度でアッというまに過ぎた。

 詩織は中国黒龍江省出身で旧名は史艶秋(シー・イェンチュウ)。

 93年10月、お見合いツアーで中国を訪れた、千葉県匝瑳郡光町(現・山武郡横芝光町)の農業兼左官業、鈴木茂と出会い、翌年9月に来日し、結婚した。茂は43歳、詩織は22歳だった。

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 親子ほど齢の離れた夫婦には2人の子どもが生まれたものの、夫婦間のトラブルが絶えず、やがて離婚話、子どもの親権争いに発展する。そして結婚して12年後、事件は明るみに出た。

 06年2月、詩織は千葉県警に逮捕された。容疑は03年10月、夫・茂に熱湯を浴びせ、故意に5ヶ月の火傷を負わせたという傷害容疑だ。さらに1ヶ月後、茂に04年の春、糖尿病治療薬のインスリン製剤を大量投与し、殺害しようとした殺人未遂容疑でも逮捕される。事件直後、茂は、かろうじて一命をとりとめたものの、過度の低血糖による脳障害で植物状態に陥った。マスコミは当時、詩織が性風俗で働いていたことや1000万円で整形したなどという噂を捉え、「中国人鬼嫁」「中国人鬼妻の整形媚態」「毒婦」などとセンセーショナルに書き立てた。

©iStock.com

 逮捕から約2年後、地裁につづき控訴審でも、殺人未遂としては極めて重い懲役15年という判決が下された。詩織は、当初判決に不満を持ち上告の構えを見せていたが、一転上告を取り下げ刑に従う覚悟を決めた。

 私が詩織の事件に関心を持ったのは、最初は、週刊誌の事件記者として、だった。

“中国人妻の財産目当ての夫殺人未遂事件”

 しかも容疑者は美人で、夫の目を盗んで性風俗で働き、売れっ子ナンバー1だった、などというエピソードが付加されれば、新聞、テレビ、週刊誌などが騒がないほうがおかしい。一時は事件が起きた光町や、事件管轄の八日市場警察署(現・匝瑳警察署)、詩織が働いていたとされる都内浅草近辺には200人を超える記者やテレビクルーが殺到した。私もそうした中のひとりだった。

 しかし、そうした狂奔も、一審判決(07年3月9日)が出て、二審判決が確定(同年12月)した頃には次第に収束していった。

 私が詩織と最初に面会したのは一審判決の3ヶ月後ということになる。