貧しい国の女性が日本にあこがれていた時代
ともあれ、裁判の終わりは警察、検察の沈黙であり、被告の沈黙でもある。いくつもの疑問や真実への糸口は過剰なまでの誇張や膨大な揣摩臆測の中に飲み込まれ、ニュースとしての価値を喪っていった。
それでも私が、拘置所への面会という形を通して詩織の事件に関心を持ち続けたのは、私が、長い間、蛇頭などに代表される中国人犯罪や、中国人不法滞在者が引き起こす事件などをライフワークとして追い続けていたからでもある。
そうした問題の背景の1つに、日本人男性が、経済的に貧しい国の女性と、金銭を介在させて挙げる国際結婚があった。
実際、今でこそ中国は日本のGDPを抜いたが、詩織が来日した17年前は日中の経済力には雲泥の差があった。日本がまだまだジャパン・アズ・ナンバーワンを謳歌し、世界経済を牽引していた時代だった。そのため経済的に貧しい国の女性は日本にあこがれ、日中をはじめとする国際結婚は増加の一途を辿っていた。
またそれは日本国内での少子化に伴う結婚適齢期の女性の著しい減少、女性の社会進出による晩婚化、非婚化などにより肉体労働を主とする地方の男性農水産業従事者たちの、深刻な嫁不足を解決するための苦肉の策でもあった。
厚生労働省の統計によれば、70年102万組あった日本人同士の結婚は06年には68万6000組と3分の2に減少し、09年でも67万3000組と横ばいだ。これは結婚適齢期の人たちの人口減少もあるだろう。だが全体的に結婚組数の比率が減少している感は否めない。
この影響をダイレクトに受けているのが農水産業従事の男性で、特に家族労働を前提とした中零細農家の場合、家業そのものが立ち行かなくなる危機に瀕していた。こうした地域そのもの、農村そのものの荒廃を招きかねない状況の中で登場してきたのが、業者が仲介しアジアの貧困地域の女性たちとお見合いをして結ばれるという国際結婚だ。異性との交際機会すらない日本の農村地帯の男性が嫁不足を解消でき、女性たちも豊かな日本人男性と結ばれることで貧困から脱却できるという一石二鳥の策だ。
このため日本の東北地方のある村などは向こう三軒両隣り、すべてフィリピン花嫁という珍現象まで起きた。もっとも、外国人花嫁が蝟集する村に嫁いだ者は、ある意味、幸せだった。国際結婚につきものの、言語、習慣、文化の壁による悩みを、互いに相談しあうことで、ある程度乗り越えることが可能だったからだ。実際、こうした人種、国籍の壁を乗り越え、現在も幸せに暮らしている夫婦は少なくない。