2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織が、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂に、インスリン製剤を大量投与するなどして、植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『中国人「毒婦」の告白』から抜粋して紹介する。

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プロローグ 面会

 JR千葉駅からバスで東に10分ほど走ると千葉市若葉区貝塚町という閑静な住宅街に出る。その、国道沿いの、だらだら坂の途中に「県職員能力開発センター入口」という小さなバス停がある。そこで下車し、数10歩歩くと古びたセメント状の門柱があり、中に入ると、突然正面に100年あまりはたつと思える赤煉瓦造りの古びた厳めしい建物が眼に飛び込んでくる。法務省東京矯正管区・千葉刑務所だ。主に重罪を犯した未決初犯囚などが収監されている。

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 07年6月初旬、早朝。

 周辺の木々がすこしずつ「夏の緑」に向けて衣替えをはじめていた。そして外気は、早くも梅雨とその先の夏の気配をないまぜにして、肌にベトリとまとわりつく。私は思わず首筋の汗をハンカチでぬぐった。

 受付で未決拘留者面会の手続きをとり、煉瓦造りの建物前の寂れた売店兼待合室で待つ。7、8分後、声割れが多少入る館内放送で番号を呼ばれ、待合室の向かいにある面会室へと急いだ。

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 内側のドアが開き中年の男性刑務官に伴われ、透明のアクリル板の向こうに立った30代半ばの女は、微かにニコリとすると軽く頭を下げた。

 やや赤みがかった髪をひっつめにきりっと纏め、155センチほどの小柄で細い体を白っぽい上下のジャージでつつんでいる。小さめの顔に化粧っ気はほとんどなかったが、白磁のような肌と、潤んだ瞳、ぷっくりしたピンクの唇は、蠱惑的ともいえる雰囲気を漂わせていた。

「初めまして」

「初めまして」

「お体の調子はいかがですか?元気ですか?」

「ええ、なんとか」

 面会は硬くぎこちない挨拶でスタートした。緊張のせいか女の声はやや甲高い響きがした。

 それが、マスコミが“中国人鬼嫁”と呼んだ、鈴木詩織被告(以後詩織とする。当時34歳)と私の初めての出会いだった。