外国人妻の苦悩、トラブルの底辺には何が?
とはいえ一方で、こうした形式の結婚は結納金という名の金銭を介在させることで、どこか“人身売買”的な匂いを払拭できない部分がある。
それが顕著な場合、双方の思惑の違いが浮き彫りになる。一方は労働力と後継子息の確保(特に年老いた親たちがそう考えることが多い)を目的とし、他方、女性の側は豊かな日本から、国の家族に仕送りをするための手段として結婚を選択するケースが少なくなかったからだ。
実際、こうした外国人花嫁のなかには、来日後、行方不明になり、不法滞在、不法就労を繰り返したあげく、凶悪事件を引き起こしたり巻き込まれたりするケースも少なくなかった。
一方で、これまで、単純労働者への移住の門戸を閉ざしてきた日本政府は08年から経済連携協定(EPA)、自由貿易協定(FTA)などにもとづき、今後50万人近く不足すると予測される看護師、介護士などの労働力を、フィリピンなどのアジア諸国から採用すると決定、08年中に、第一陣が研修と称し100人単位で入国し始めてもいた。
そうした意味で詩織の事件は「多民族国家・日本」を象徴する先駆けの事件であり、「鬼嫁」などという皮相的で人格攻撃的なレッテル張りだけで済まされないものを内包しているのでは、と私は思った。
日本における中国人妻、外国人妻の苦悩、悩みの本質、さらにさまざまなトラブルの底辺に何が存在するのか。
「詩織の犯罪」は個人的なものか、普遍的なものか。普遍的なものとすれば、日本社会の中にこそ、その要因があると考えられるが、それはいったい何なのか?
私は、そうした疑問に突き動かされて、一審判決が出て、第三者との面会が許可された直後から詩織と接触を開始した。
とはいえ、当然のことながら最初から詩織が心を開いたわけではない。