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「結婚に愛はありませんでした」 “中国人毒婦”は、なぜ夫にインスリンを大量投与したのか

『中国人「毒婦」の告白』#2

2020/11/12
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どこかで会ったような気はするが…

〈日本の成田空港に着きました。空港の待合室ロビーです。

 私は人混みの中を、迎えに来ているはずの夫となる人を、あちらこちら探し回りました。でも私たちはお互いに顔を覚えていなかったのです。

 同じ飛行機の乗客はすでにみんなどこかに行ってしまいました。でも夫らしい人はいません。ほんとにおかしな話です。

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 1時間たって到着フロアに残ったのは、私と背の低い中年の日本男性だけ。その男性はジーンズとTシャツといういでたちで、人を待っているようでしたが、私は彼を無視していました。

 ロビーの隅々まで、もう一廻りしました。やはりそれらしい人はいません。

 誰も迎えにこないなんて、あまりにも惨めで、泣きたくなりました。私が日付を間違えたのでしょうか。それとも夫となる人が日付を忘れてしまったのでしょうか。

©iStock.com

 行ったり来たりしているうちに、先程の背の低い男性が近づいてきました。どこかで会ったような気がしますが、はっきりしません。それよりも、男性の目が私の体を上下にジロジロと舐めまわすように見詰めているのが気になりました。“このスケベ野郎!”と心の中で罵りました。しかし、やがて、その男性こそが1年前にお見合いした私の夫であると、気がついたのです。

“今日は”、と挨拶すると、彼もまるで夢から覚めたように“今日は”といいました。そして、まだ硬い中国語で“あなたは綺麗だ、あなたは美しい”といいました。〉

お見合いツアーで一目惚れ

 ここで鈴木茂と詩織のプロフィールについて改めて触れておこう。

 茂は51年、千葉県光町の小田部地区に3人兄弟の長男として生まれる。茂の上に姉、下に弟だ。同町は06年に旧横芝町と合併して現在の横芝光町となった。それ以前の光町は人口が1万人前後、東京から千葉市経由でJR普通電車を銚子方面に乗り継ぎ約2時間。首都圏とはいえ、九十九里に程近い寒村だった。なにしろ行政上、町とは呼ばれていたものの主産業は水田と葱作だけ。それも近隣近郊の工場に勤めながらの半農半サラリーマンや半農半出稼ぎという家が大半だった。

 茂は、中学を卒業すると東京に働きに出て、八百屋、水道工事店などを転々とする。しかし20歳をすぎた頃、田舎に戻り実家の農業を継いでいる。地域では中堅農家の部類に入るが、けして豊かというほどではない。身長は150センチ台と日本人男性の中でも小柄なほうだが、若い頃から現場労働で鍛えた体格はガッシリしていた。

 30代で1度結婚した。が、その最初の妻とは、1年ほどで離婚している。