夢と現実との落差
詩織は72年8月31日に中国黒龍江省に生まれる。
彼女が私に語ったところによると、男女共学の地元の高等学校を卒業後、レストランのウエートレスなど、さまざまな職業を経験する中で、ボーイフレンドやテレビの影響を通じ日本への強い関心を持つようになったという。しかし、詩織は、事件後、働いていた風俗店の女性らや当時の警察の取り調べなどには中学卒業と語っていたともいい、真偽の程は曖昧だ。
ただ、詩織が生まれたのは、中国でもかつては発展が遅れているといわれていた黒龍江省の奥地の農村。農村戸籍(この宿命的な矛盾については後述する)を持った彼女にとっては、例えば大都会の瀋陽などで、どんなに頑張っても“出稼ぎ労働者”という境遇から抜け出すのは難しい。だから日本人男性との結婚という、人生の大逆転に賭けたのだろうということはある程度推測できる。彼女の当時の心境を手記から見てみよう。
〈私と茂さんの結婚には愛はありませんでした。
私にとっての彼は知り合ったばかりで何も知らない友だちと一緒でした。私が日本に嫁ぐのは理由がありました。私にとって日本は本当に魅力的な国だったのです。だから私は日本に嫁ぐのであって、日本の男性に嫁ぐのではないという思いが強くありました。
私は日本の桜を愛していました。日本の和服、日本の富士山、建築物を愛していました。〉
結婚に愛は最初から無かった、そして日本の男性に嫁ぐのではなく、日本をこのうえなく好きだったから来日したという詩織。そこには、中国東北部の閉塞した環境から抜け出そうという必死の思いがこめられている。
結婚を決めて以来、彼女は、何度も日本での豊かな未来の生活を夢見ていたという。立派な家に高級車、そして煌びやかなビルが立ち並ぶ大都会。しかし現実は違っていた。ここに最初のボタンの掛け違いがある。