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機内サービスを彷彿とさせる光景

 天明さんたちに自覚はないだろうが、機内サービスを彷彿とさせる光景があった。

 狭い機内でサービスを提供するにあたって、キャビンアテンダントはしばしばタッグを組む。例えばブランケットを必要としている搭乗客がいたとする。要望を聞いたキャビンアテンダントが目配せをすると、収納庫の近くにいる別のキャビンアテンダントがブランケットを取り出して手渡す。航空機内でそんなリレーをするシーンを見たことがあるだろう。

 はちはちでのサービス提供には似たようなところがある。従業員の1人が食べ終わったランチのプレートを下膳、受け取った天明さんが皿を洗い出す。その間に別の従業員がコーヒーを運んでくる。3人の間に特段の会話はなく、すべてあうんの呼吸だ。これも機内サービスで身についた所作なのだろう。

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©石川啓次/文藝春秋

「この仲間とお店をやっていて良かったと思うことはたくさんありますが、接客に必要な動作を教える必要がないというのはそのうちの一つです。一緒に働いている人はみんな十分な訓練を積んでいますからね」と天明さんは言う。

「うちのトイレを見ていってくださいよ」。天明さんがふいにそんなことを言った。ドアを開けると最新式のトイレが置かれ、立派な洗面台が鎮座する。鏡も大きい。何しろ掃除が行き届いている。「日本航空の客室乗務員はまず『トイレを綺麗にしなさい』という教育を受けるんです。トイレが汚いと人はげんなりしちゃいますからね」

 はちはちは何もかもが日本航空流なのだろう。そう思って話をしていると、しばらくして天明さんは意外なことを言い出した。「確かに日本航空で学んだけれど、このお店は日本航空流ではありません」。

 この複雑な言い回しにはワケがある。それを解き明かす前に、天明さんのこれまでを振り返ってみよう。

日本航空で感じた疎外感が「お客様第一主義」を生む

 天明さんが上智大学を卒業して日本航空に入社したのは1975年。動機はかなり不純なものだった。

©石川啓次/文藝春秋

 当時付き合っていた彼女が客室乗務員志望で、事前に試験問題の傾向を知りたいと言い出した。当時、日本航空の入社試験は男性の方が早かったため、天明さんは彼女のために客室乗務員の試験を受け、問題の傾向を探ることにした。

 日本航空に電話をかけたのは応募の締切日。「応募書類を郵送しなければならないのでしょうか」と聞くと、採用担当者は「それだと間に合わないですから、この電話で応募したことにしておきます」と答えた。「ところで私、リンゴの皮を剥くこともできないのですが大丈夫ですかね」と天明さんが質問を重ねると、先方は「大丈夫じゃないですか?」と返事をした。「今じゃ考えられないだろうけれど、当時は牧歌的だったんですね」と天明さんは言う。