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マニュアルに従わない反逆児

 機内でどうお客様をもてなすか。日本航空社内には当然マニュアルがある。しかし時として、マニュアル通りに振舞っていたら、搭乗客は喜ぶどころか、機嫌を損ねることがある。臨機応変が重要。天明さんは時と場合に応じて、マニュアルに従わないことにした。

「マニュアルに従うことが日本航空流なんです。客室乗務員によってサービスが異なれば、お客様からの不満が出かねないからそうしたのでしょう。でも接客するシチュエーションは毎回異なります。マニュアルに従って応対していたら、お客様は快適な空の旅を楽しめないかもしれない。そもそもお客様にどう楽しんでもらうかはそれぞれが考えるべきでしょう。その意味で僕は反逆児だったかもしれません。今のはちはちの接客は、それぞれがお客様が喜ぶこと、ありがとうと言ってもらえることを考え、行動することにしています。だから日本航空流ではないと言っているワケです」

©石川啓次/文藝春秋

 天明さんはその後、地上職である機内サービス部に異動した。運行スケジュールなどを決める運行本部や営業部門などと話し合って、各機内でどのようなサービスを提供するかを定める部署だ。客室乗務員として飛んでいた身としては、最高のサービスを提供したい。しかし営業からはコストカットを迫られる。その折り合いを付けるような仕事である。

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現場主義を貫いた天明さん

 上司の指示を受けて即座に他部署へ足を運び、話し合いをすることがしょっちゅうあった。このため歴代の担当者は部長の隣に席を置いたが、天明さんは部長に直訴して、部屋の入り口に机と椅子を置いてもらった。デスクワークをしている上司の指示を聞くより、勤務を終えて、廊下に向けてドアが開かれていた機内サービス部の部屋を横切る客室乗務員に声を掛け、生の声を聞き、実際のサービスに生かす事の方が重要と思ったからだ。

©石川啓次/文藝春秋

 現場主義は40歳を超えて異動した訓練部でも続けられた。見習いの客室乗務員にサービスを叩き込む指導教官に与えられる部屋は、威厳を示すためなのか厚い扉で仕切られていた。指導に臨む時間になると、その厚い扉が開かれて、教官は出てくる。それが普通だったが、天明さんは部屋の扉を常に開けていた。客室乗務員の卵が分からないことを、すぐに聞きに来られるようにするためだった。

 現場を重視してきたからそう振舞っただけで、会社の流儀にことさら反発していたわけではない。その姿勢が上司にどう映ったかは定かではないが、「天明流」に共鳴した若い客室乗務員とは食事を共にしたり、互いの家族で遊びに行ったりした。そうして交流を深めた天明さんを良く知る元客室乗務員などが、現在のはちはちのスタッフなのである。

ライフシフト 10の成功例に学ぶ第2の人生

大輔, 秋場

文藝春秋

2020年11月11日 発売