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ビルマ防衛線の兵棋演習

 まもなく牟田口軍司令官は機会に恵まれた。6月24日から4日間、方面軍司令部で兵棋演習がおこなわれた。総軍がビルマ防衛線の推進に関心を持ち、研究を要望したためであった。演習目的は、ビルマの防衛線の位置をきめることであった。兵棋演習の方法は、各部隊をあらわす隊標を、担当の演習員が地図の上に動かして、実戦の状況を作りだして検討をするのである。

 これを見学するために、大本営から第2課(作戦)の竹田少佐の宮と南方主任参謀の近藤少佐が派遣されてきた。

 総軍からも、稲田総参謀副長以下各主任参謀が参加した。シンガポールの第3航空軍からは高級参謀佐藤直大佐が出席していた。

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 兵棋演習はラングーンのビルマ方面軍司令部の会議室でおこなわれた。牟田口軍司令官は自信にみちた表情で、幕僚席で見学していた。自分の念願とする作戦構想が、いま兵棋によって展開されている。演習員は第15軍の久野村参謀長以下各主任参謀と、隷下の各師団の参謀長と作戦主任参謀である。

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 第15軍の計画によれば、インド東北部のインパールを攻略して、その付近にビルマ防衛線を進める目的で、3個師団を3方面から分進させる。弓第33師団は南から突進する。祭第15師団は東北から策応して包囲の形で攻撃する。烈第31師団は北のコヒマを占拠して、アッサムヘの道を断って、インパール地区を孤立させる。

最大の問題とされた後方補給は省略

 この演習では、最大の問題とされていた後方補給についての、くわしい研究がおこなわれなかった。演習のはじめにあたって、輸送機関、渡河作業部隊、弾薬その他軍需品の集積についての基本事項を示しただけであった。これは何かの意図のために、とくに省略されたとも見られることであった。

 牟田口軍司令官は、念願を実現させるための絶好の機会がきたと考えていた。現在の状態では、ウィンゲートの挺進隊にかきまわされるくらいだから、ビルマを防衛することはできない。英軍の戦力は大きく、ことに制空権を奪われているから、このままでは自滅のほかはない。それよりも先に、英軍の反攻の拠点を押えるべきである。牟田口軍司令官の考えは、信念に変っていた。そして、なんとしても、ビルマ方面軍や南方軍に計画を承認させ、大本営の認可を得なければならないと決心していた。

 牟田口軍司令官は特別の手段をとることを考えた。竹田宮を演習の見学だけで終らせてはならない、と思いついた。直接に訴えて、竹田宮を通じて大本営を動かすべきだと決意した。

 兵棋演習の第3日、6月26日の夜、牟田口軍司令官は竹田宮に拝謁して、インパール作戦の必要なことを説明したうえで、大本営の認可を願った。その態度、語調には強烈な信念があふれていた。