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2020/11/20

source : 文春文庫

genre : ライフ, 歴史, 社会

否定しなかったことは、肯定になった

 この時の計画で、ウ号作戦は奇襲戦法で突進することを明確にした。牟田口軍司令官の得意の構想であった。また、そのなかでは、烈の1個師団をコヒマに使うことになっていた。これは、コヒマを占領して、さらにアッサム州に進攻しようとする牟田口軍司令官の執念ともいうべき計画であった。しかし、この作戦は、すでにラングーンの兵棋演習の時に否決されている。その上、2週間前には、久野村参謀長が方面軍から注意をうけてきたばかりである。明らかに、今度の南方軍の作戦準備命令に違反した計画である。

 奇怪ともいえるのは、この演習を統裁している久野村参謀長の態度である。ビルマ方面軍司令部にとくに呼ばれて、アッサム州進攻計画を禁止されてきたばかりである。それを今、地図上に展開させているのだ。

 同じように不可解なのは、この演習に列席しているビルマ方面軍の中参謀長である。進攻禁止を決裁した当の本人である。

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 地図上では、烈師団の各部隊の隊標がコヒマに進出した。烈の全力をこの方面に使うのはディマプールに行くことを予期しての用兵である。中参謀長は、それを逐一、見ていた。方面軍の命令に違反した行動を、しいて見せつけられたのに等しかった。

 演習が終ったあと、中参謀長は講評をしたが、烈師団の使い方については、何もいわなかった。否定をしなかったことは、肯定したことになった。

 中参謀長は、軍人にしては珍しいほど人あたりがよく、温厚であった。しかし、実行力にとぼしかった。参謀長の要職にあっても、とくに才腕を示したということがなかった。つまり、何もするところがなかった。

 その時、中参謀長が優柔不断で、かんじんの警告を怠ったことは、重大な結果を招くことにもなった。すくなくとも、このために烈師団の佐藤幸徳中将以下の全将兵がコヒマに行くことを、確実にしたといえる。

インパール作戦を早く実施してもらいたい

 それから、ひと月とたたない9月12日、シンガポールで総軍の参謀長会同があった。これには南方軍の直属兵団の参謀長だけが集まることになっていた。ビルマから出席で きるのは、中参謀長だけである。ところが、中参謀長は、第15軍の久野村参謀長と情報主任参謀の藤原岩市少佐をつれてきた。このふたりには出席の資格がなかった。その ために、とくに中参謀長は南方軍にたのんで、第15軍参謀長を“帯同して出席すべし”という命令をだしてもらった。

 参謀長会同は寺内総司令官の官邸で開かれた。シンガポール市内でも宏壮で知られた元の総督官邸を接収したものであった。会議のあいまに、中参謀長は稲田副長とふたりだけで懇談した。中参謀長はインパール作戦を早く実施してもらいたいと訴えた。

「やかましいことをいわんで、ふたりの話をよく聞いてやってくれんか。そのために、わざわざつれてきたのだ」

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